記憶の媒介

 さて、「マグマ大使」と友人のセーターについての続き、といっても他愛のない話なんだけど。
 そのテレビに出てきた、チョイ役の小学生のセーターを見て、半世紀近く前の、まったく忘れてきた記憶が、かなり明確なイメージとして浮かび上がってきた、とまでは書いただろうか。
 というのも、そのセーターとほぼ同じ物を、ほぼいつも着ていた私の友人がいたのだった。
 名前は斉藤くんという。もちろん卒業アルバムを出してくれば、彼の姿を確認できるだろうけれど、……と探してみると、いた、いた、斎藤くん。でもくだんのセーターは着ていない。もしそうだったら、ビンゴなのだけど、まあしょうがない。
 いまセーターと書いたが、ホントはかなり厚めのカーディガンという感じで、特徴的なのは縦に二本の派手なラインが入っていたことだ。
 認識していない記憶の底にあったものが、その派手なラインにかき回されて、ぷよぷよと表面に現れ出し、さらに芋づる式に彼の顔はもちろん、キャラクターやしゃべり方までが出てきてしまったというのには、ちょっと驚いた。
 でも、こんなことはたまにはある。
 これは小学生時代の記憶だったが、簡単に幼稚園までさかのぼれそうだし、もっと前も可能な気がする。
 今回のきっかけはテレビ映像だったが、そうである必要はないだろう。
 ひとつ候補に挙げられるのは、箱に縦線がたくさん入った窓があって、その下でロール状に特別な絵を移動させると、それが動いているように見えるというオモチャ。名前も何も知らないけれど、もしそのホンモノを見ることができたら、もしかすると、三歳ぐらいの記憶がよみがえってくるかもしれない。