「新しい核の時代とタルコフスキーの視線」を書きました。

 季刊「メタポゾン」10号に拙文「新しい核の時代とタルコフスキーの視線」を掲載させていただきました。
 これは映画監督のアンドレイ・タルコフスキーについて書いたものです。タルコフスキーというと、一般には芸術至上主義の作家とする方が多いと思われます。またペレストロイカ以前のソビエトでは、政治的な表現は不可能と短絡的にとらえている方もいるかもしれません。
 しかし、彼の映像をつぶさに見ていくと、意外に多くの直接的ともいえそうな政治的描写が含まれていることがわかります。
 今回の文章はその中でも、特に核、つまり原子力発電や核兵器、そしてそれらによって人々の精神に何がもたらされたのかという点について、彼がどのような表現をしているのかを、原稿用紙五十枚ほどなので極めて簡単ですが、触れてみることにしました。
 詳しくはぜひ本文をお読みいただきたいのですが、例えば「惑星ソラリス」では主人公のクリスと元宇宙飛行士のバートンとの会話に、ヒロシマへの言及があります。また異変への対応策としてソラリス放射線の照射されます。
 「鏡」でも挿入されるニュースフィルムに、核爆弾の爆発のようすが二度登場しています。
 「ストーカー」の食堂近くにある原発の風景は有名ですが、ゾーンに向かう教授が持っていったのは、会話にメガトンとあるように小型の核爆弾です。
 「ノスタルジア」でも登場人物が世界の終わりを感じて、自分の家族を閉じ込めます。そして「サクリファイス」は文字通り、核戦争の一夜を描いています。
 拙文が掲載された季刊「メタポゾン」は硬派なマイナー総合誌で、大型書店の一部にしか置いておらず、ネット書店での販売も遅れ気味ですが、ぜひお買い求めください。たぶん私がこのブログで購入をお願いすることは、初めてかもしれません。そういったこともご考慮いただければ幸いです。
 拙文は別にしても、掲載されている記事はそれぞれ他では決して読むことができない秀作揃いです。
 発売元などは、こちらをご覧ください。http://www.metaposon.com/works.html