父のいない家

 おっと、またまたどんどんと脇道へと進路を取ってしまいましたが、それをチト戻す。
 今まで書いてきたように「惑星ソラリス」までの作品は、自らの体験を転化したように失われた父性を求めていましたが、「鏡」をターニングポイントに父性を放つようになったのです。
 タルコフスキーは、まさに「鏡」に映った自分と父親を見つめることで、通らざるを得ないポイントを過ぎることができたのでしょう。
 その顕著な例といえるのが、「惑星ソラリス」と「ノスタルジア」のラストシーンです。
 前者ではクリスが(死して)自分の家の前にたどり着き、父親の足元に跪き、隣に犬がいます。一方、「ノスタルジア」でゴルチャコフが帰った家には父親はいません。ただ犬が寄り添っているだけです。そしてクリスが家の方を向いているのとは逆に、ゴルチャコフは家とは反対の方を見ています。
 「惑星ソラリス」の家は父親と叔母(あるいは父の愛人を意味する)の住まいですが、「ノスタルジア」の家に住むのは、彼が実際にソビエトに残してきた家族そのものでした。
 そして「惑星ソラリス」に中途半端に描かれていた願望の具現化は、以降の作品で純化されていくことになります。ではその二つの作品の間にある「ストーカー」ではそのあたりがどのように描かれていたのかについては、いずれまた別の機会に。