季節の草花 その二十二

 もちろん名前はあるに違いない。でも名札もなく、手入れもそれほどされていないその赤く咲く花の名前を私は知らない。
 名前や名詞、代名詞は、代名詞という言葉がよくそのように用いられているように、そのものの属性を規定する場合に使われる。それは極めて便利な道具だ。
 ただそれも言葉であるがゆえに変化し、変遷し、陳腐化する。
 勝手な解釈は承知の上でいうと、勿忘草や吾亦紅、あるいはパンジーやポピー、さらには歌詞に使われたがゆえなシクラメンやスイトピー、などなどの花の名前がかつての意味合いとは別のものになったりする。昨今のサクラも、さらに一本のガーベラもその類か。
 赤、青、黄色、どの花見てもキレイだな、というのならいいが、あれは赤、私は青、そしてあいつは黄色、となるとこれはもう地獄への最初の一歩。
 果ては右、左、中立、赤ではなく、そういった垢にまみれた言葉を多用して、峻別こそ命のごとくに振る舞う。
 困ったことに世の中、そうやっていろいろと色づけする人がいて、そんな人の声が時にデカい。誰も聴いてはいないのだけど。
 いえ、一般論です。
 さて、この赤い花、いつまで咲いているのだろう。