北の想像力への極私的歩み その六

 「極私的歩み」なんていっておきながら、ちちっとも歩まないじゃん、とお思いのかたもいらっしゃるとか、いないとか。はい、遅遅たる歩みとなるでしょうが、とりあえずは始めてみましょうか。
 今からざっと四半世紀ほど前の1989年、当時勤めていた広告制作会社で、とあるPR誌の編集を担当していた私は、AV、といってもオーディオ&ビジュアルの特集をやることになって、てっとり早く取材先を決めるために専門誌に連絡し、最新の大型テレビ機器を使っている一般の人を紹介してもらって、いざ取材へ(ホントは禁じ手です)。
 その頃はまだ大型のプラズマテレビ液晶テレビは存在せず、家庭で大画面を楽しみたければ、映写機のようなプロジェクターと画面にあたる幕を用意する必要があった。そこに現れたのがリアプロジェクションテレビというもの。簡単にいうと、映写機と幕を大きな箱の中に一体化したもので、縦横は現在の大型テレビほどだが、奥行きも50センチはあり、つまりそれは昔の家によくあったオルガンほどの大きさだった。
 しかしテレビ=ブラウン管の時代だったので、それに比べて場所を取るとはいえない。いわばその時代にのみ生息できた電気機器だったのである。
 しかしそれでも大画面の魅力は侮れない。
 で、取材相手と趣味も合い、「ブレードランナー」のレイチェルがレプリカントのテストを受けるあたりを映してもらって、あーだ、こーだ、と映画談議に花が咲く。
 で、カメラマンが室内撮影を始めると、同じ飲み屋のチラシが何枚も置いてあることに気づく。そのワケを聞くと、取材のことを友達と飲みながら話していると、店の主人から取材の写真にチラシが映るように置いてくれといわれたというのだ。
 しかしもちろんそんな撮影なんて無理。しょうがないなぁ、と思ってチラシを見ると、ある作家がその店のことを語っているではないか。
 担当していたPR誌には、いわゆる文化人が自分の好きな店を紹介するページがあるので、そこで取り上げることができるかもしれませんよ、というと取材相手はほっとした顔になった。その作家こそが……。