北の想像力への極私的歩み その七

 そのPR誌のお店紹介は外部ライターが担当していて、作家さんに電話で店についてのコメントをもらい、あとは店の取材をして記事化するという段取りになっていた。しかし数日後にそのライターから連絡が入る。
「コメントをいただこうとしたんだけど、お店を取材するのなら、近くなので出向きますよ、といわれました」
 些少なる礼金でわざわざ時間を割いていただけるとは、それでは編集担当も同席しないわけにはいかない、と恥ずかしながらその未知の作家の比較的最近の著書である『仮借なき明日』を買って読み始めたのだった。
 そう、その作家さんこそ、今回『北の想像力』の拙文で取り上げさせていただいた佐々木譲さんだったのである。
 私はまだ三十代のなりたて、譲さんも三十代後半の頃だった。
 さて、取材当日、渋谷のかつてユーロスペースがあった向かいの牛タン専門店の開店時間の少し前、私とライター、そして譲さんの三人が揃った。カメラはライターが兼任。
 どんな話をしたのかはほとんど憶えていない。ただ私は読んだばかりの著書の登場人物の意味合いについてえらそーなことをしゃべっていたはず。自分で穴を掘って入ってしまいたい。
 その後、ライターに譲さんの友人二人を含めて、再度その店で飲む機会を持った。お酒が進み、また失礼なことをのたまったとライターからいわれ、慌てておわびの電話を入れたが、楽しい夜でしたよ、との返事でほっと胸をなでおろす。
 まだメールも携帯も普及しておらず、あの泡はまだ膨らんでいた頃。譲さんの記事が載ったPR誌の巻末にある不動産の広告には、鷺ノ宮から徒歩11分で76平米の普通のマンションが1億2000万円とあった。