北の想像力への極私的歩み その27

 さて、天下の東海大学を冗談にも辺境の類例としてしまった失礼を謝罪しつつも、五月のイベント徘徊は、東京の密集とそこからどんどんと真空的になっていく辺境的な何かを感じさせた二日となったのではあった。
 この東海大学とて、全国的には東京の大学に分類されるはず。かえりみれば、すでに東京の密集地に大学の影は全学としてはほぼ見当たらないことに気づく。
 さても、たかが一時間にも満たない新宿からの移動をして、東京の密集を対峙させると、辺境感を醸し出すこの位置、そして移動の機微をつらつらと綴ってみたくもあるのだが、筆力と熱意はうちに見当たらず、このあたりでお開きの段とすることにしよう。
 ところで『北の想像力』、北を辺境と捉えると、また拙文に記した佐々木譲作品のいくつかもまた中心から辺境への移動の物語となる。
 『白い殺戮者』、『死の色の封印』、そして『牙のある時間』がそれで、以外にも『北帰行』や『エトロフ発緊急電』、『武揚伝』もまたその物語である。
 付記すべきは、彼の諸作において、東京とこの北海道との移動の管が、世界を巡航する物語の心臓となっていると考えられることである。
 『ベルリン飛行指令』は日本を飛び立つ零戦がベルリンへ到達する。『エトロフ発緊急電』の主人公は世界の旅の果てに北の地を終焉の地とする。『武揚伝』の榎本武揚は青年時代の欧州留学を、あの北海道行ののち壮年期のユーラシア横断によって完成させる。『ストックホルムの密使』もまたそれによって『ベルリン飛行指令』を補完する。
 これらの作品において、その旅や行程はそのまま物語となるのだが、いくつかの南を舞代とする作品では、それがほぼ省かれている。南はただ現場としてあるだけなのかもしれない。
 拙文は井上光晴の小説『心優しき叛逆者たち』をそのまま副題とした。それは思いつかないまま書棚を見回した際に目に留まったものだっただろうか。もちろん直接的な拙文との関連はまったくない。わけは本文にある通りで、作者の描く登場人物に共通している立ち位置を称するにふさわしいと、ふと思ったからである。
 そして『北の想像力』は巻末で北海道に関する書物をたくさん紹介しているが、私が担当した作品は見ておわかりの通り、佐々木譲作品に類するミステリーや冒険モノを取り上げているわけではない。若干ひよったところはあるが、その多くはまさに「心優しき叛逆者たち」の物語なのである。