宇宙博に行ってきた。その十六

 さて、アポロ計画の残りの材料でチャチャと造りました的なスカイラブ計画でしたが、実は宇宙開発史上画期的な事象のオンパレードではあったのです。
 まず最初からして予定になかった緊急事態、昨日書いたように太陽電池パネルの一枚はちぎれ、一枚は少しだけ開いて停まったまま、さらに耐熱パネルが剥がれてしまいました。
 結果、室内温度はどんどん上昇し、電力不足に陥ることに。普通なら、もうやめようか、と諦めてもいいトラブルなのですが、どっこいアポロ13号の事故も乗り切ったNASAは、脳細胞をギューギュー捻って打開策をポトリと生み出します。
 それが最初のミッションの三人が修理工になるというもの。まず本体から傘状に折りたたんだ耐熱パネルの代替膜を広げて、船内の温度を下げ、さらに太陽電池パネルに綱を結びそれを三人が力を合わせて、ヨイショとばかりに引っ張るのです。その際に役立ったのは、以前から何度か試みられた船外活動でした。これが史上最初の必要に迫られた船外活動といえるでしょう。
 ここで注意すべきは、こういった修理作業には大きなリスクが伴っていたということです。アポロ13号の時はとにかく全力を尽くさなくては三人が死んでしまいます。否が応でも困難に立ち向かわなくてはなりません。それに対してスカイラブはわざわざ危険を冒して、三人の飛行士が半分スクラップになったような宇宙船に向かいました。
 結果オーライでスカイラブの修理は成功し、本体はその機能はほぼ回復しました。しかしもし失敗していたら、NASAはもう存在しなかったかもしれません。

★今日の問題、これはいったい何でしょうか。