宇宙博に行ってきた。その十五

 本日をもって、幕張メッセで開催されていた宇宙博2014が閉幕します。でもこちらの書き込みは他にネタがない等の理由によって、まだ続きます。ごめんなさい。
 さて、ご存じのアポロ13号の事故により、その後のアポロ計画は大幅な変更が強いられた。まずは計画そのものの効率化、そして簡略化である。
 その簡略化の方の結果として、アポロ計画は20号まで飛ぶ予定だったのが、最後の三回、つまり18号、19号、20号がキャンセルされた。しかしそのためにすでに制作中だった三本のサターンⅤ型ロケットが残されることになる。
 さて、それをどうするのか。その端緒は数年前にあるスタッフがふとした思いつきをスケッチしたことに始まる。サターンⅤ型の三段目ロケットを活用できないか。ええと、太陽電池パネルとドッキングハッチを付けると、さて。
 その小学生レベルのスケッチから、やがて人類が最初に手にする宇宙ステーションと呼ぶべきものが生み出されるのだが、それは結局は実現されないであろう数多なアイデアの一つに過ぎなかった。もしアポロ計画の見直しがなければ、それは図面や試作モックアップに留まったことだろう。だがアポロ13号の事故が結果として、その実現の道を開くことになる。
 簡単に言うと、サターンⅤ型の一段目と二段目は、三段目と月着陸船、そして司令船と機械船を地球軌道まで運び、その後三段目によって月に行く。ということは月に行く必要がなければ、サターンはいま書いた重量級のいろんなものを地球周回軌道に届けることができるわけだ。この三段目、S4Bと呼ばれるロケットをそのまま宇宙での居住区や実験設備に改良したのがスカイラブだ。
 打ち上げまでは順調だった。まずは無人で改良型のサターンⅤ型で、スカイラブの本体を打ち上げる。その後、サターンⅠB型ロケットにより三人の飛行士が乗ったアポロ型の宇宙船がスカイラブに到達する手順だった。しかし事故はスカイラブの打ち上げ直後に起こった。そのあたりの顛末は明日のココロ。

★(ピンボケごめんなさい)20分の1のスカイラブとアポロ型宇宙船の模型。アポロの指令船に比して、スカイラブがいかにデカイかがわかる。本来は本体の両側に太陽電池パネルが開く予定だったが、事故で片側がもぎれてしまい、残ったもう片方も開いてはいなかった。さらに本体を覆うはずの遮熱版も剥がれている。そこで最初の飛行士たちの仕事はそれらの修理となる。模型では飛行士たちが広げた遮熱シートも再現されている。