ぐーたらとまたタルコフスキー

 今日は快晴、午前中は富士山もしっかり見えてました。気温も高いそうですが、ウチ南向きではないので、そこそこ寒いです。
 ということ(どういうことやら)で、半月も更新を怠っていたのは、別に体調がすぐれないとか、世の中がいやになったとかという「高尚」な理由があったわけではもちろんなく、単にぐーたらぐたーらしていただけなのですが、そんな中にあっても、いつもの個人的モノカルチャー的カルチャー活動であるところのタルコフスキーがらみの作業を遅遅として進まぬママにも、わずか牛歩ほどにも、ぽつりぽつりとしていたわけです。
 それが、ツイッターにも少し書いたはずだけど、彼の『タルコフスキー日記』の1と2、そして『タルコフスキイ「鏡」の本』の中の作業日記から、個人的に気になることをメモとして打ち込んでいたのです。
 それがなんと、というほどではないが、40000字以上になってしまい、これじゃメモじゃないじゃんと、自分で自分に呆れてしまうというあんばい。
 しかし、ただ読むだけと、それを書いてみる(といっても打つんだけど)のとは、いろいろと違うみたいで、さらに見えてきたこと、あるいはさらに謎となってしまったことなどがメジロ忍、じゃなくて目白押しなのでした。
 そのへんの生花、じゃなくて成果は、いつかどこかで明らかに、なるかなぁ。