タルコフスキー・チルドレン

 さて、なんとも三か月ぶりの更新。
 というのも、久方ぶりにちょいと文章なんぞを書いたので、そのご報告なのです。媒体はアトリエサードが発行している「トーキングベッズ叢書」のNo.63で、特集タイトルは「少年美のメランコリア」。おっととと、私なんぞとはほど遠い世界の事柄なのですが、そこはやはりタルコフスキー芸人を自称している者としては、見逃せない点が一つだけあったのです。
 そう、アンドレイ・タルコフスキーは生涯八作の映画を作ったのですが、その七作に少年を登場させているのでした。
 『ローラーとバイオリン』では幼い頃の彼そのままに音楽教室に通う少年を、『僕の村は戦場だった』には戦争当時の彼と同世代の男の子を、『アンドレイ・ルブリョフ』でも最後の章に鐘造りの奇蹟を成す少年を、『惑星ソラリス』は主人公の少年時代の姿を、『鏡』では監督自身の少年の頃の姿を、それぞれ映し出しています。
 そして唯一例外なのは『ストーカー』で、ここでは少女は登場しますが、少年の姿はありません。しかしその後の『ノスタルジア』と『サクリファイス』には少年が再登場しています。
 ここで明確なのは、最初の四作が少年に自分の姿を投影しているのに対して、最後の二作の少年は自分の息子であり、彼に対する自身の心情を表現しているということです。
 そういった点から、『ストーカー』は極めて特異な側面を持つ作品であるといえるでしょう。この辺りは今、ちょっと探っています。
 で、また前ふりが長くなってしまいましたが、今回の文章はこれらの少年の描き方の中でも、『僕の村は戦場だった』と『アンドレイ・ルブリョフ』、そして『鏡』で描かれた少年像を捉えることにしました。
 特に『鏡』については、私としては疎い部分に少しだけ触れています。ご関心のある方はぜひどうぞ。