「新宿のありふれた夜」の感想 SIDE:B

 前回書いた舞台「新宿のありふれた夜」について、音楽を中心に。
 この舞台では、ピーター・ポール・アンド・マリー(以下PPM)の曲が三曲使われている。
 まずは「風に吹かれて」。今年のノーベル賞受賞者であるボブ・ディランの代表曲だが、PPMのヒットによって、世界的に有名になったはず。PPMの三枚目のアルバム「IN THE WIND」の最後に収録されているが、あまりに知名度が高いので、ここで書くことはないだろう。
 「レモン・トゥリー」も同様にある年齢の世代であれば、ほぼ知っている曲である。グループ名を冠した彼らの最初のアルバムに入っている。これら二曲はPPMのベスト盤があれば、間違いなくチョイスされるが、この舞台にはもう一曲PPMの楽曲が使われている。それが「IN THE WIND」の1面最後の「ポリー・ヴォン」だ(と思われる。他の曲だったらごめんなさい)。
 この曲、先ほどの伝でいうと、ベスト盤にはまず入らない地味な曲、どうして使われたのだろうかと歌詞の翻訳を読むと、それはとある猟師の物語で狩りに出掛けた彼が、白いエプロン姿の恋人を白鳥と間違えて撃ってしまう、という物語なのだ。舞台の副題である「我に撃つ用意あり」とはかなり意味合いを異にするけれど、主人公のリンが着ていた大きめの白いシャツ、そして袖口の血や腕の傷に符合しているように思うのは、深読み過ぎるだろうか。
 さらにキングクリムゾンの「ムーン・チャイルド」が流れている。劇中劇で不在の主人公である克彦が少年として現れるパートである。ここが宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』を擬しているならば、その夜ジョバンニが友人のカンパネルラを失ったように、克彦もかつての夜に友人を亡くしているとも考えられる。かつての夜とはもちろん「ある日の夜」である(まわりくどくてすみません)。
 この「ムーン・チャイルド」を歌っているのは、先日亡くなったグレック・レイクである。あの透明感のある声に私たちは魅了された。奇しくもこの一幕は彼に捧げられることになる。
 そして流麗なPPMとは違って、粗削りな本家ボブ・ディランの「風に吹かれて」が掛かる。「吹く風の中にある」答えとはいったい何なのか。それは具体的な答えというよりも、探し出そうとすること、その行為の中にあるのかもしれない。
 さて、今回、主人公克彦の出ない舞台を堪能した。いま私は60年代末期の意識とまったく別の「新宿のありふれた夜」を夢想する。しかしやはりそこにはリン的存在はいてほしいと思う。