記憶の小箱が開くとき

 散歩の途中で駅前のブックオフに寄ると、鉄腕アトムの本を見つけた。どうやら雑誌『少年』に連載されていた誌面をそのままスキャンして、一冊の本にしたようだ。古本価格は800円。
 で、驚いたのが、そのひとつの連載モノを見ると、大昔にその回を読んでいたことが、突然よみがえってきたことだ。一コマ一コマがアトムや登場人物、笑いのオチなど、かなり忠実に記憶の底に残っていて、正直ビックリした。たぶん1964年か65年頃の記憶だろう。
 きっと記憶というのは、いつも記憶していることと、ふだんは忘れているが何かの拍子に蘇えってくるものに分けられると思う。今回のできごとは、とうぜん後者だ。
 これは同窓会で旧友たちと会うと、ふだんは憶えていないのに、次から次へと何十年も前のことがよみがえってきて、「ああ、けっこう楽しい学校生活を送っていたんだなぁ」と思うことに似ている。しかしそれも翌日には、そう思った記憶だけが残り、話した具体的な内容は消えてしまっていることが多いのだが。
 頭の中には、きっと扉の付いた小箱がたくさん並んでいて、ふだんは扉が閉じられているので、その中身を記憶していないと思っている。でも何かのきっかけさえあれば、その扉はバタバタと開くのだろう。
 よく人は危機的状態に置かれると、記憶が走馬灯のように駆け巡るといわれているが、これは記憶を全開にして、自分の身を護る術を探していることだそうだ。つまり同窓会も、ハイテンションな点で、「危機的な状況」の一種といえるのかもしれない。
 ちなみに冒頭の鉄腕アトムの古本はかなり迷ったけれども、買うのをやめた。やや汚れていることもあったけれど、やはり記憶は記憶のままで、小箱に入れておいた方がいいと思うからだ。
★写真は『鉄腕アトムの軌跡展』の図録。