「街と飛行船」で封印された歌詞

 最近、散歩をしていて、ふと頭の上に何かを感じることがある。
 で、なんだなんだと空を見上げると決まってポッカリとそこに浮かんでいるのが、飛行船だ。これほど頻繁に飛行船を見るようになったのは、いったいいつからなのだろう。住まいが飛行船の飛行ルートと重なっているのかもしれないが、都心に行っても何回か見かけたことがある。みんな同じ形のようなので、1機(という数え方でいいのだろうか)だけなのか、それとも何機かあるのだろうか。
 飛行機に較べるとゆっくりのようだが、それでも見ている間にあれよあれよと視界から消えていく。遅く感じるのはあのユーモラスな機体のせいなのかもしれない。
 飛行船といって思い出すのは、70年代にフォークグループの六文銭が歌っていた「街と飛行船」という曲だ。劇作家である別役実さんの詞に小室等さんが曲を付けたものだが、どこからかお咎めがあったのか、最初に聞いた『六文銭メモリアル』では、一部にテープの逆回転のような細工がされていて歌詞が聞き取れない。小室等さんのファーストアルバム『私は月には行かないだろう』では割愛されたと聞く。そういえばアルバムジャケットの歌詞部分に不自然な空白がある。そのアルバムを早い時期に買った友人は、歌詞部分にシールが貼ってあって、それを剥がせば読めるといっていた。
 それならばこの歌詞の一部は、メディアでは封印されているのかといえばそうではなく、六文銭の活躍から解散までを記録したラジオのドキュメント番組「六文銭 フォーシーズン」では、しっかりと『街と飛行船』を歌っているところが放送されているのだ。
 別役実さんと六文銭といえば、他にも『原子爆弾の歌』が放送できないはずなのだけど、どういうわけか、私は空で歌うことができる。
 まあ、そんなこんなで、空に飛行船を見つけると、『街と飛行船』を思い出している。
 「きっと空には飛行船、地上にはお祭り・・」という歌詞を、私は勝手に終末の風景として理解していたのだが、はたしてどうだっただろうか。