奇跡の演奏と触れ合ったコップやお皿

 昔は散歩の途中によく音楽を聴いていた。カセット、CD、MDとウォークマンと買い換えて、すべて見事に壊れてたが、今は「携帯用音楽再生装置」をひとつも持っていない。やっぱり鳥のさえずりとか人の声とか風の音なんかを聞いていたほうがいいと思うこともある。
 でもきっとiPodなんかを買ったら、いろいろと入れてしまうのだろうな、とも想像はできる。そんなわけで(どんなわけじゃ)、散歩の途中に聞いてみたいCDの推薦版を書き留めることにする。もちろん私ゆえ、絶対に新しいものはないので悪しからず。
 最初に採り上げるのはビル・エバンスの『THE COMPLETE LIVE AT THE VILLAGE VANGUARD 1961』だ。これは1961年当時にリリースされた不朽の名作である『WALTZ FOR DEBBY』と『SUNDAY AT THE VILLAGE VANGUARD』に収まられたビレッジ・バンガードでのトリオ演奏を、コンプリートの形でまとめられたもの。だから曲は演奏順に収められていて、電気の不具合で録音が一部飛んでしまった曲まで今回初めて収録されている。さらに曲の合間の様々な雑音も現場の雰囲気を伝えてくれる。
 ビル・エバンスはそのアルバムのほとんどが、75点から95点の成績を獲得できるジャズ学級の優等生だけど、そのなかでもこれはほぼ百点満点の花丸付き。
 ライブ盤だがビレッジ・バンガードは食事もできるので、客たちは演奏にお構いなしに騒ぐし、拍手もまばら、さらにコップやお皿のガチャガチャいう音もするという環境だ。それにきっとビル・エバンスはイラついていたと思う。そしてそれが何らかの緊張感を生んでいたのかもしれない。そんな中でビル・エバンスは薄いガラス細工のような精緻な演奏を作り出したのだ。まるで合間の騒音すらピアノの音の味付けにしてしまったかのように。
 そう、たぶん騒音のために当時のLPには収録しなかった『PORGY』だが、その曲の最後の方に女性の「ふふふ、ふふふっ」と高まっていく高笑いもみごとな効果音だ。
 しかしそれにしても、1961年の6月25日の夜。エバンスの奏でるこの素晴らしい音色よりも彼女を楽しませた会話って、いったいどんなものだったのだろう。

★写真はBILL EVANSの『THE COMPLETE LIVE AT THE VILLAGE VANGUARD 1961』。
ビル・エバンスのピアノ、ポール・モチアンのドラムス、そしてスコット・ラファロのベースによるビル・エバンス・トリオの1961年6月25日、午後に2回、夜に3回行なわれた演奏を録音したもの。1セットは30分から40分ほどだ。そして10日後のラファロの交通事故死により、これがこのトリオの最後の演奏となった。このCDには当時の録音テープのケースに記載されたデータが載っている。ご覧のようにかなりの悪筆だが複数の筆跡もあり、さまざまことがここから読み取れる。