とぼとぼ映画雑言ロード 07

『カーサ・エスペランサ』
 早い話が、子供が欲しいけれど産めない女性が、その経済力で子供を開発途上国へ「買い」にいくという映画。しかしこのようにして彼女たちを「救う」のは、はたしていいことなのだろうか。そういった機会があるということは幸せなのだろうか。もちろん彼女たちに葛藤はあるのだけど、そこにこういった経済的格差ゆえの視点はないように思う。絶大なる富の使い方、その一例としての子供の獲得。アメリカという国の「病」はそこにある。けれど映画としては凡庸。
宋家の三姉妹
 三姉妹があまり美人でないことがいい。長女は別にして、次女が孫文、三女が蒋介石に嫁ぐというのはまさに悲劇だけれど、当時の孫文蒋介石の関係からはふつうの成り行き。この悲劇をそう描いていないところがエライかも。なにか全体の雰囲気は『ラスト・ランペラー』に通じるものがある。ただそれとは観た後の余韻はそれほどでもない。
裸足の1500マイル
 しっかりとしたいい作品だと思う。社会性があり、かつ描きにくい題材にちゃんとエンターテイメントの要素を加えている。ただしタイトルはいけません。だって裸足じゃないんだから。タイトルにも隠れた差別意識があるのかな。
ザ・マジックアワー
 お金持ちの映画好きの素人が作ったと感じてしまう映画。このような映画をお金を払って観る客がかわいそうだ。そしてもちろん役者がかわいそう。でもギュラもらっているからいいか。この監督(あえて名は秘す)ってほんとうに才能があるのだろうか。いやテレビドラマの『新選組』の後半は面白かったけど(あいたた)。
『ヌーヴィルヴァーグ』 ただ時間が過ぎることを祈った映画。久々のゴーダル体験だが、再び彼の映画を観ることはあるのだろうか。しかもゴタールにアラン・ドロンは似合わない。
阿弥陀堂だより
 なにより寺尾聰に憧れてしまう。それほど歳を取っているわけでもないのに、ほとんど何もせず、このようにあまり悩みもせず、ただ淡々と生きていて、その周辺からはなにやら存在感すら与えている、そんなことが実にうらやましい。
『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・チャイナ 1.2.3』
 同じカンフー満載の映画『チャイニーズ・ゴースト・ストーリー』とは雲泥の差。レスリー・ファンの皆さんゴメンナサイ。アクションシーンの多さにやや食傷気味とはなるものの、オバさん役のチャーミングなところで帳消しとしよう。第3作まで作るってことはそれだけ人気があったってことだね。じっくりしっかり見ればたぶん歴史認識もちゃんと潜んでいるはず。
『モンゴリアン・ピンポン』
 川に流れてきたひとつのピンポン玉を巡る少年たちの物語。とにかく風景が美しい。そして人々の無表情もまたいい。遊牧民の生活にゆるく入ってくる近代。それは少年の一人が馬ではなくバイクに乗っていることからもわかるのだけれど、それがどこまで実際で、あるいは寓話であるのかぜひ知りたいと思った。
『こんなに近く、こんなに遠く』
 珍しくもイラン映画。都会の仕事中毒の父親は、息子が余命僅かであることを知って、遠く天体観測に出かけている彼に会いにいく。父親はその途上でいろんな人と出会う。父親と息子の距離、都市と田舎の距離、人間と宇宙との距離、そして生と死の距離、近くて遠いその距離のありようをやさしく描き出している。
アバウト・ア・ボーイ 父親の印税だけで暮らしている優男(いいなぁ、ウラヤマシイ)。彼の満ち足りた生活にある少年が関与することで、軋みが生じて・・・。イギリスが舞台なだけにアメリカ映画に欠けているちょっとしたセンスのよさがそこここに溢れているおしゃれな映像。また少年のあの帽子が全然似合っていないところも、かわいい。まあ、結末としてはアメリカーンなわけだけど。