とぼとぼ映画雑言ロード 08

『007 カジノロワイヤル』
 ただただエンタメ映画。映像の作り込みにも力が入っています。でもこういった展開って面白いのだろうか。もちろん007映画なのだから、007の呪縛からは逃れられないのだけれど、その前提自体がすでに陳腐化しているような気がする。いろいろと新しいトライを試みているのはわかるのだけれど。
『モロッコ
 いわずと知れたマレーネ・ディートリッヒゲーリー・クーパーの映画で、なんと世は大恐慌のまっさかりの1930年の制作。ほぼリアルタイムのフランス外人部隊を描いていて、舞台は第一次大戦後の植民地再分割競争そのもの。でもあまり硬くは考えず、そこをモチーフとしたお芝居に過ぎないとみればいい。でもあのラストシーンでちょっとどうでしょう。ディートリッヒは他の「歴戦の女たち」といっしょに、クーパーたちの後を追って沙漠へと歩みだすのだ。ただの女好きだったクーバーとそれに従うディートリッヒの「愛みたいなもの」が、結果として「愛国的」になる必要があるのだろうか。しかも彼はアメリカ人で彼女はドイツ人なのだ。ラストシーンが美しいだけにそれは困る。
肉体の悪魔
 原作者の若さとタイトルの強烈さで、どんだけスゴイ映画かと思ったのだが、実はそれほどでもない。舞台は第一次大戦末期で、戦争は終わり兵士が帰ってくるということが重要なポイントになっているが、制作が1947年である。だから第二次大戦の帰還兵に直接関係してくる。そんなことから原作の趣旨とはまったく反対に「こんなことしちゃダメだよ」的な教育的効果を担ったのかもしれない。主人公たちの行動に共感できないのもそのせいかも。
『ヒーセッド・シーセッド』
 新聞のコラムを同時掲載したことから、真逆の見解を持つ二人がテレビのレギュラーにもなる。そこから映画はフィードバック。タイトル通り、彼と彼女の言い分が相互に展開していくのだが、同じ事例でも男と女ではこうも捉え方が違っているのか、ということがわかる点で教訓的ではある。はい、それだけです。何かご意見でも。
『ブルワース』
 アメリカの政界をおちょくりまくったコメディ映画なのだが、細かいところはかなりシリアスでもある。しかしどうしてもウォーレン・ベイティがラップを踊っているシーンしか思い出せない。しかしどうしてウォーレン・ベイティはいつも笑っているんだろう。おまけにハル・ベリーが意外とかわいい。
ネゴシエーター
 たぶん本人も含めて警官役のエディ・マーフィにはみんな食傷気味でしょう。でも柳の下のなんとやらで、またやられてしまった1997年の作品。タイトルの「ネゴシエーター」は日本製で、原題は「Metro」だけど、これじゃなんだかわからない。でも主人公がネゴシエーターとして活躍するのが映画の本筋ではないので、タイトルとして不適格なんじゃないのかなぁ。いつものケーブルカーのアクションあり、恋人の誘拐ありということで、アメリカンのお気楽アクション映画の王道をいっております。
『ザ・コンテンダー』
 副大統領の突然の死により、その座の候補となった女性に対して、スキャンダルの暴露で妨害しようとする人たち。なかなか骨のある展開で、しかも最初はその女性への嫌悪感を持つように観客を誘導していながらのどんでん返し。映画の可能性を軽妙に駆使した佳作だけど、時間が経つと印象がどんどんと薄らいでいくのが残念。
『コーラス』
 やっぱりヨーロッパ映画っていいなあ、と思わせてくれる映画。1949年のフランスの寄宿舎が舞台で、そこの寮監として赴任してきた教師と生徒たちとのコーラスを通した交流の物語。役者が出しゃばらないのがいい。変に教訓的でないのもいい。ただありがちな、大成したかつての生徒がそこを訪れるという導入は、さて必要だったのだろうか。
『ロスト・ワールド』
 結局このように動物の愛情物語になってしまうとは、マイケル・クライトンも草葉の陰で悲しんでいるのでは。いやこの映画のときはまだご存命でしたね。それにしてもあの女性生物学者の安易なヒューマニズムが、結局は殺戮を呼んだということに、本人が気づいていないのがスゴイ。
世界最速のインディアン
 このインディアンとはオートバイの名前。ピンはねをするタクシードライバー以外に悪い人が出てこない、とってもハートウォーミングな映画だけど、それでいて易きに流れてはいないのがいい。たぶんクルマなどの時代考証もしっかりしているように思う。すべての年寄りもまだ明日はある。