柴又、記憶のうちに 3

oshikun2009-11-27

 帝釈天でのお買い物
 いまや全国的に有名な柴又の帝釈天も、40年前の小学生にとってはただの遊び場だった。松の木の枝振りや本殿の周囲にある彫刻の見事な点は理解できたが、やはりそこは自転車で走り回る場所で、渡り廊下の下を頭を低くして通り抜けるアトラクション付きの帝釈天境内コースを、いったい何回まわったことだろう。そのころの小学生は単純にも、ただ自転車で走ることが楽しかったのだ。
 この帝釈天には、引っ越してまだ日も浅い日に出掛けた。友達になったばかりの子から甘茶をもらいに行かないかと誘われたのだ。ちょっと寂しい感じの転校生への彼の気配りがうれしく、甘茶もまたおいしかった。
 ふだんの帝釈天の参道には出店こそないが、それぞれの店が工夫を凝らして商品を並べているので、店先を眺めるのも楽しかった。そして休日には鰻をさばいたり、飴をリズミカルに切る実演を飽きずに見ていた。草団子が山盛りに置いてあるのにも圧倒された。
 でもこの参道で買い物をしたことはほとんどない。例外はふたつだけ。帝釈天とはまったく関係ないのだが、一軒だけ玩具を売っている店があった。そこでボートのオモチャを買う。当時は水中モーターといって、魚雷のような形で後にスクリューが着いたモノが流行していて、それを船の模型の下に付けると水面を勢いよく走るのだった。これは銭湯で大活躍したが、そのオモチャはその進化版だと思った。箱の絵では赤いライトが点いたノズルから、水が勢いよく吹き出している。まさに「超ハイテク」だ。勇んで友だちを集め、披露目を近所の池で行なったが、水しぶきを上げて颯爽と走ると思いきや、ただ水面をゆっくりと進むだけで、かなり恥ずかしい思いをした記憶がある。
 そしてもうひとつが自動車のシール。これも当時の流行物で、みんなは交換してコレクションを増やし、下敷きや筆箱に貼っては自慢したりしていた。そのクルマはファーストバックで、他の店では見たことが無く、黄色いボディが黒いラインで描かれている。ここで買わないと二度と出会えないと無理やり決心して、そのシールの入っていたガラスケースをゆっくり開けた。
 ボートのオモチャはもちろん残っていない。しかし自動車のシールはその後何度か、大掃除の際に出会ったことがある。また何年かすると、自分の前に現れて、秀麗なボディを楽しませてくれるかもしれない。
帝釈天の境内には枝を水平に伸ばした見事な松がある。その枝ぶりは変わっていなかった。
★午後の参道は小学生の遊び場でもあった。
★現在の帝釈天の彫刻の多くはこのようにしっかりと保護されているが、当時は雨風にそのまま晒されていた。★当時オモチャを買ったのはこの店。「だるきや」という店名を初めて知った。