柴又、記憶のうちに 4

oshikun2009-11-28

無テーマパークとしての河川敷

 柴又帝釈天の山門の前を左に行くと、参道と平行して柴又街道から江戸川の堤へと向かう車道があり、堤に突き当たる場所にあるのが料亭「河甚」だ。ここは寅さん映画の第1作でさくらの結婚式が行なわれたところだが、子どもの頃はもちろん何の関心も示さずに、一路この江戸川の河川敷を目指していた。そうここも遊び場のひとつだったのだ。
 その遊び場の最大のイベントは夏の打ち上げ花火。暗い土手を家族とこわごわと歩き、やがて適当な場所に腰を下ろす。今日日のように花火大会だといって仮設の街灯など付けたりはしなかった時代である。どこで買ってきたのか焼きトウモロコシが手渡され、薄暗がりの中でかぶりつく。やがて付近の空気がだんだんと煮詰まってきた頃、漆黒の空に向けて輝く一般の筋が立ち上がる。そして一瞬の間があって、色とりどりの光の粒がその轟音とともに花となって落ちてくる。目前に開く大きな打ち上げ花火、子どもにとってこれ以上のスペンタクルがあるだろうか。天空に次々と巨大な花が咲く。次の花火がその前の花火の残した煙を映し出す。空が立体となって目の前に広がる。最後はお決まりのナイアガラ瀑布。そして興奮した気持ちと、少しの寂しさとともに立ち上がるのだった。
 雪が降っても人々はこの土手に集まってくる。子ども連れで、あるいは子ども同士で。土手の斜面はそのままスキーゲレンデとなる。しかし持っているのは板切れや分厚い布かビニールシート。これを尻の下に敷いて、スロープを滑走する。子どもたちはスボンをぐちゃぐちゃに濡らしながら、満面の笑みで何度も何度も斜面を往復する。これは年に一度あるか無いかのお楽しみ。スキー板をもってきた何人かの大人は、逆に笑いものされる。限られた時間はあっという間に終わり、冬の太陽はすぐに傾く、翌日にお楽しみの続きを期待して出掛けても、そこは泥の斜面が広がるばかりだった。
 河川敷の川の近くには、やっと自転車が走れるぐらいの細いでこぼこ道があった。そこを自慢のサイクリング車でラリーのごとくに疾走する。大人はラジコンボートやラジコン飛行機を見せびらかす。子どもは板切れのボートを浮かべ、駄菓子屋で買った小さなグライターを飛ばす。そしてまた草を縛って、友人を転ばせ、ゲラゲラと笑う。
 河川敷は何もないのがいい。野球場やゴルフ場にしてしまえば、もうそれだけしかできないが、何もなければ何でもできる。
 今日も堤を登る。登れば江戸川が見える。さて今日は何をする。★堤の上を歩く人は昔と変わりないが、その下には見事に舗装された道路が敷かれ、クルマがかなりのスピードで走っていた。
★土手の上から江戸川の下流方向を望む。ここもキレイに舗装されている。昔は砂利道だったはずだ。
★上流方向を望む。寅さん映画でおなじみの金町浄水場の取水口の塔が、川の近くに小さく見える。
★河川敷に広がるグラウンド。子どもたちの姿はなかった。
★タイトル横は、昔はなかった河口からの距離を示すプレート。