柴又、記憶のうちに 6

 わが愛車はセミ・ドロップ
 自転車を手に入れることは、子どもにとって成長のひとつ階段。行動範囲が広がり、スピードを自分のものとする。そして社会の決まりごとを確認する。少なくとも少し前の時代はそうだった。
 しかし自転車を買ってもらったのは遅かった。その値段のせいもあるが、両親が危険と見なしていたことが大きい。その心配をぬぐうために、空き地で「試験」は行なわれ、そした私は借りた自転車をそつなく乗りこなし、めでたく合格となった。
 当時の子どもたちの愛車はブリヂストン自転車が主流だったが、それに迎合するのはなにか気に沿わず、かっこいいツイン・ライトを諦めて10段変速のミヤタ自転車に跨がることになる。ハンドルはセミ・ドロップ。スピードメーターは必須アイテムで、時速40キロを出したと誇らしげな顔になる。
 その頃の少年漫画雑誌には、裏表紙によくサイクリング車の広告が載っていた。モデルチェンジの早さは自動車の比ではない。やがて荷台には方向指示器が取り付けられ、リトラクタブル風の可動式ライトも登場した。そしてどんどん自転車がオモチャになっていく。だがそうした動きに関心はなかった。まだ自転車を買い換えることなど、想像できなかった時代だったのである。
 大人たちのクルマに対する感情と同じようなものを、子どもたちは自転車に持っていた。だから粉ココアの大きな缶に、針金で把手を付けて、油とブラシとスポンジとぼろ布を入れたのが自転車掃除の用具セットをみんなが持っていた。そして競うように自分の自転車を洗い、磨くのだった。まず水洗いで、泥が落とされる。その水気を取って油を湿らせたぼろ布で磨く。チェーンや可動部には油が注がれる。ブレーキのゴムの位置がチェックされ、荷台のバンドを丁寧に巻きなおす。こうして自転車が自分のものになっていく。
 友だちと一番の遠出は千葉県の里見公園だった。その頃ももちろん矢切の渡しはあったのだが、金は使えないので、江戸川の堤を北へ向かい新葛飾橋を渡って、千葉県に入る。そしてまた江戸川沿いを南下。目的地の里見公園に着く。様々な季節の記憶があるから、何度もそこを訪れたのだろう。
 そのうちの一回の出来事だったが、帰りの坂道をオーバーランして、自転車ともども江戸川に飛び込んだことがある。その瞬間はいったいどうなるのだろうか、と思ったが、場所は落ちるのにちょうどいいくらいに浅く、本人と自転車はいたって元気だった。
 一人で遠出をしたのは立石までだ。青砥を越えて立石に至り、そのまま帰ってきた。どれだけ遠くまで行けるのかということだけを自分に課したちいさな旅だったともいえる。帰りがけに高砂橋から後ろを振り返ると、くねくねと曲がりくねった中川が見えた。それは風景としてもなかなか見事で、ほんとうに自分が遠くまで来たということを実感させてくれた。
★40年前にサイクリング車を買った自転車店を見つけた。看板などにはブリヂストンとあるが、自分の自転車を買ったのはたぶんこの店だったと思う。がっちりとした筋肉質のお兄さんが、スピードメーター付きのわが愛車を組み立ててくれたはずだ。