柴又、記憶のうちに 7

oshikun2009-12-01

 初デートはもんじゃ焼きテイスト?
 柴又には神奈川県の大船から引っ越してきた。田んぼが広がる当時の大船からすれば、柴又も都会である。その小学2年生を最初に襲ったカルチャーショックは、なんともんじゃ焼きだった。
 同じアパートに住んでいた女の子に誘われて、その小さな店に入る。当時でもすでに何十年もたっているような店だった。思えば家族以外と食べ物屋に入るのはおそらく初めての体験だ。靴を脱いで畳の部屋に上がる。緊張する。テーブルはひとつだけで、店員はおばあさんがひとりだけ。こたつのような四角いテーブルは、そのほとんどが鉄板で覆われていて、その片隅に座ったひとりだけの先客は、我々よりもさらに幼い女の子。彼女は半透明な「何か変なもの」をおいしそうに手づかみで食べている。連れの女の子が何を注文するか聞くが、メニューはまったくわからない。
 やがて奥からボウルに入った、やはり見たことのない「変なもの」が運ばれてきた。それは茶色い液体に細かい破片が混じったもの。女の子がそれを鉄板に落とす。ジ、ジ、ジジューという音といっしょにその液体が泡立つ。ツンと微妙な感じの匂いが鼻を突く。鉄板に広がったそれを彼女は小さな鉄のへらで集めていく。先客が食べていたのは、これを広げたままで焼いたもののようだ。こう食べるの、といって女の子は器具の先にかたまりをつけて口に運ぶ。記憶はここまで。味やあとの顛末は覚えていない。しかしもんじゃ焼きと聞いて思い浮かぶのは、近年話題となっている月島のこぎれいな店ではなく、店の隅々にまで匂いがこびりついたような柴又の店である。
 後日、学校の先生から衛生管理の証書が貼ってない店に行くな、と諭された。実際その後、その店に行くことはなかった。男の友だちを得たからだろう。最初のデートはかくして終わった。あの女の子は次に誰を誘ったのだろうか。
 数年前にその辺りを訪ねたときも、店はだいぶ前に閉店したようで庇も剥がれていた。そして今回は見事に小さな駐車場になっている。ただ交差点の向かい側に、お好み焼き屋ができていた。はたして何かの偶然なのだろうか。★この小さな駐車場にかつてのもんじゃ屋はあった。えてしてお店は、なくなってしまうとその存在感に比してかなり小さい面積だったことがある。今では軽トラックなどがやっと2台入る程度の広さだが、かつての子どもたちにとっては広大な空間だっただろう。タイトル横の写真は7年前のもの。店は閉じれてしばらくたっているのが分かるが建物自体はどうにか建っていた。