柴又、記憶のうちに 8

 3つの塾通い
 柴又では短期間ながら書道教室とそろばん塾、そして小さな学習塾に通った。しかし字がうまくなったり、計算が速くなったり、頭が良くなったりすることはなかった。
 ひとつぐらいどこかに通うというのが、当時の塾通いの定番だったのかもしれない。
 書道教室には、字に朱を入れる時間をつぶすという名目で、漫画本がたくさん積まれた部屋があった。もちろん字を書く数倍の時間をそこでつぶすことになる。書道教室をやめたくなったのは、字を書くのがいやになったというよりも、たぶん漫画を読むのに飽きたためだろう。
 学習塾は正体不明のおじさんが先生で、普通の家のひと部屋が教室だった。週一回、五六人の子どもたちがそこに集まって、算数を中心にみんなでひとつの問題を解いていったが、最後は決まってトランプの時間となる。記憶にあるのは結局、ブラックジャックのおもしろさだけだった。
 そろばん塾はこの中では一番「教室」らしかった。十数個の細長い机が板張りの教室に並べられ、クラスは実力別に編成されていた。あの「ねがいましてぇ〜は〜」という声を聞くと、その教室の光景を条件反射的に思い出す。どのようなシステムになっていたかは忘れたが、ポイントを集めると、鉛筆削りや、筆箱などがもらえるようになっていた。いま考えるとどうでもいいような品々だが、塾の入口に飾られていたそれらは、子どもたちにとっては憧れの対象だった。
 このそろばん塾には遠足もあった。大型バスを一台借り切っての横浜ドリームランド。以前大船に住んでいたので、すでに行ったことがある。その時の楽しさを期待したのだが、期待はずれに終わった。4年間で少し大人になっていたのか、それとも記憶が楽しさだけを醸成させたのだろうか。前に体験した宇宙探検のロケットの振動するシートや、事故の緊急作業は「ほんもの」だった。しかし、この時はただ客席前の映像に過ぎなかった。
 そろばん塾は、通りから少し入ったところに今もある。およそ40年、そろばんを抱えて通った子どもたちの数はいったいどれくらいの数なのだろう。
 この3つの塾通いは学校とは一味違った子どもたちの交流の場だった。最初に書いたようにそこでは計算も字も算数も上達しなかったけれども、そこで過ごした時間はもしかすると学校で過ごす時間よりも濃厚だったかもしれない。
★このそろばん塾が今回訪れた中で一番変わっていない場所かもしれない。私が通っていたころからすでに40年がたち、それ以前からも開いていたわけだから、いったいどのくらいの歴史があるのだろうか。