柴又、記憶のうちに 9

 空き地と50円玉
 赤土と呼ばれた空き地があった。囲いはなく、何かが置いているわけでもない、それはまさに空き地だった。子どもたちの間で書き文字になったことはないので「あかつち」か「アカツチ」だったのかもしれない。そこには何にもないので何にでもなった。三角ベースの野球、缶蹴り、くぎ抜き、小さなスコップさえあれば、山や池や川が作られた。もちろん決闘場にもなった。そこは一日中いても飽きることのない、アトラクションが無限に存在する総合レジャーセンターだった。
 この頃、この柴又界隈には数多くの空き地があった。そのほとんどは何らかの資材置き場だったが、管理がルーズで資材自体が齢を重ねてどんどん苔むしていった。資材の定番は土管だ。ドラえもんに登場する空き地には必ず土管が描かれていたし、ウルトラQガバドンに変身するのは、子どもたちが空き地の土管に描いたイラストだった。
 土管は秘密基地となった。盛り土は忍者ごっこの戦場となった。牛乳のケースが積まれていれば、それを積みなおして入り組んだ迷路を構築した。こればかりは管理しているおじさんがやってきて、子どもたちを蹴散らした。
 子どもたちはブランコや滑り台ではあまり遊ばなかった。土管や盛り土、牛乳ケース、そして一番ゴージャスなのは何も無い空き地。そこでどんどん新しい遊びが生まれた。
 時間のたったことを気づかせるのは空腹感だった。幸いにも赤土の近くにパン屋があったので、みんなは50円玉を握りしめてここにやってくる。菓子パンは15円。これをふたつと、20円の三角パックのコーヒー牛乳を買う。そしてパンにかぶりつきコーヒー牛乳で胃袋が満たされると、また新しい遊びが始まった。
 赤土は駐車場になっていた。パン屋だった建物のシャッターは降りていた。
★車が置かれてしまうと、かつての赤土はとても狭く感じる。周りの建物もまったく変わってしまった。