柴又、記憶のうちに11

oshikun2009-12-08

 原初的なカスタムカー
 柴又の小さな商店街には、ラーメン屋と模型店が並んでいた。
 今では素のラーメンを注文する人は少ないかしれないが、当時はこれこそが本道で、その内容も今より充実していたように思う。ただしもっぱら出前だけで、店内で食べたことはなかった。当時は一杯50円だったこのラーメンを、いったい何杯注文したことだろう。家には電話がない。だから私が200メートルほどの距離を走ることになる。そして扉を開けて、マルマル荘のバツバツです、ラーメン2つお願いします、という。そのときいつもカウンターにある茶色っぽくてポソポソとしたものを見ては、いったい何なのだのだろうと首を傾げていた。それがピータンだと知るのはだいぶ後のこと。この店にラーメン以外を注文したことはたぶん無い。
 一度だけここの店員に申し訳ないことをした。出前を届けにきた時に、留守番をしていた私は家族が帰ってきたと勘違いをして、ドアは開いているよ、とぶっきらぼうにいってしまったのだ。彼とすれ違った家族は子どもに馬鹿にされ、憤然としていたという。40年目のごめんなさい、である。
 模型店ではあまり高いものは買っていない。マブチの水中モーターは近くの風呂屋で活躍した。ゲルマニウムラジオが電池を必要としないことには驚いた。そしてプラモデルの回天は買ってからその役割を知って少しだけ黙り込んだ。
 手製のリモコンカーを作るために、この店で部品を買った。ボール紙をシャシーにして、それにネジでモーターと確かスピードギヤと呼んでいた部品を組み付けて、車軸とタイヤを固定すると簡単な造りのリモコンカーの出来上がり。いわば原初的なカスタムカーだ。リード線の先の電池ボックスがリモコンで、スイッチ操作で前後走行だけコントロールできる仕組みだったが、それだけでも十分楽しめた。
 少し遊ぶと、モーターやギヤがずれてくる。ネジを止め直し、新しい穴を開けてそれを直す。やがてボール紙がぼろぼろになっていく。そんなクルマに幻のカウルを載せて、イメージの高速道路をそれらは走り続けた。
 店ではプラモデルを仕上げる仕事もしていた。店のおじさんが驚異的なうまさで巨大なゴジラを組み立てて色を塗っていく。それをうらやましげに眺めつつも、なんか変な気分だった。プラモデルは自分で組み立ててこそプラモデル。楽しさは造らなければ味わえないなどと感じていたのかもしれない。★7年前にこのあたりを訪ねたときは二軒とも営業していたが、今回はラーメン屋の姿はなく、模型店も看板の文字が無かった。ガラス戸にプラモデルのポスターが貼ってあったが、中をのぞき込むことはできかった。タイトル横の写真は7年前のもの。