柴又、記憶のうちに15

oshikun2009-12-12

 記憶のいづみとしての駄菓子屋さん
 その「いづみ」という駄菓子屋で買い物をするとき、10円の品物は最初から眼中にはなかった。お目当ては5円で買えるもの。その日のその一点を探すために、ガラス蓋の下に並んだ商品群をゆっくりと眺める。やがて候補が決まると、その宝石箱のようなケースの蓋を開けての実物検証。包装されていない駄菓子には手を付けない。そしてその日のひとつを選び出す。一日にふたつも買うということは、思いつきもしなかった。その5円玉を握り締めた買い物客に店のおばさんは丁寧に応対していた。
 糸が付いた三角錐型の飴、薄いセロハン紙に包まれた米菓、甘味料をまぶした柔らかく小さな桜餅、そして赤い液体を満たしたチューブの中の果肉。得体のしれないそれらの食べ物に、多くの子どもたちが魅了された。
 扱っているのは駄菓子だけではない。手で飛ばす小型グライダー。キラキラと光るゴム毬。膨らますのにコツのいる細長い風船。箱の中に並んだり、天井から吊るされたそれらからも子どもたちへ魅惑の光線が放射されていた。
 7年前にその店を訪ねたことがあった。その時はおばさんも健在で、聞けば40年間ここで店をやっているという。当時の悪友たちの名を挙げると、彼らのことをしっかりと憶えていてくれた。おばさんは脇田はるさんといって『駄菓子屋日記』という著作がある。店でそれを求めると、サインと一言「私は何事も穏やかでありたい」と書いてくれた。今回そのあたりを歩いて見ると、小さな駐車場があるだけだった。
 この店で当時買った最高金額の商品は、たぶん釣り道具セットだと思う。ほんとは500円なんだけど、少し壊れているから50円でいい、とおばさんがいった。どこが壊れているかはわからない。ちょっと背伸びをして悪友みんながそれを買った。
 家でケースから出す。毛ばりを指に刺しながらチェックする。そしてみんなで水元公園へ繰り出すことになった。といっても交通機関を使うという頭はなく、まだ自転車も持ってはいなかった。ということで当然のことにそこまでは歩きである。小学生にとってはかなりの道のりだ。
 歩き出すと、よく知った風景が、見知らぬものへと変わっていく。1時間ほどで水元公園に着くと、大人たちに混じって釣り糸を垂れた。しかし釣れない。まったく釣れない。飽きたひとりが網でタニシを掬う。それが池のほとりに並んだ。何匹かの小魚も網で掬った。結局、竿で釣れた魚は一匹もなく、タニシを池に戻したあと、網で掬った数匹の魚を、ビニールのケースに入れて帰路につく。夜道はミステリアスで、魚の水がちゃぽちゃぽ音をたてた。
 後日、友人の家にいくと、その日採った魚が、小さな水槽の中で元気に泳いでいた。
 紙ヒコーキも、花火も、ビニールボールも、各種カードも、そしてあまたの食べ物もこの店で買った。それらのひとつひとつが私の記憶の断片として私の中にある。★今回柴又を訪ねると店はなくなっていて、小さな駐車場に変わっていた。タイトル横は7年前に訪れたときの写真。よく見ると14で書いた文具店とこの店の日除けが、同じ色であることがわかる。このふたつの店は通りを隔てて面していたのだ。