柴又、記憶のうちに16

 サンダ対ガイラと酒井和歌子
 アパートに風呂がなかったので、小学2年の最後から6年の秋までは銭湯に通った。一番近い場所にあった北野湯は、アパートから歩いて3分ほどだった。だから寒い冬でも湯冷めはしない。洗面器に手拭いと石鹸、シャンプーを入れて、着替えをバスタオルでくるんで載せれば、準備終了。それに秘かになんらかのオモチャを入れることもある。風呂屋は遊び場でもあったのだ。特に昼間は客も少なく、天井近くの窓から射し込む日の光の中で、水中モーターを搭載したボートや、浮上と潜行を繰り返すゴム動力の潜水艦など、数多くの船艇の進水式がとり行なわれた。
 クレージーフォームという摩訶不思議なものが風呂屋で大流行したことがある。ただ泡を出すだけなのだが、そのきめ細かさがなぜか魅力的だったのだ。物欲が強い方ではなかったけれど、これだけは欲しかった。しかし小遣いで買える価格ではなく、親への説得工作も失敗。結局その泡に触る機会はやってこなかった。そのブームが過ぎ去ろうとしていた頃、どこかの子どもがどぶにその泡を流していて、なんとも寂しい気分になった。
 風呂屋の脱衣所には映画のポスターが貼ってある。といってもロードショーなどではなく、近くのローカル劇場のそれで、色が妙に毒々しかった。それを眺めるのも銭湯の楽しみのひとつだった。怪獣映画『サンダ対ガイラ』に心踊らせ、青春映画『颱風とざくろ』に想像をたくましくさせた。親といっしょに出かけると飲み物を買ってもらえることがあった。「コーヒー牛乳」に「パンピー」が定番で、ぐびぐび飲んではもったいなく、できるだけゆっくりと噛むように飲んだものだ。
 北野湯の定休日には別の銭湯に遠出する。それもまた楽しいイベントとなった。同じ銭湯でも造りは微妙に違う。めずらしいシャワーがあったり、庭が個性的だったりするのだ。それだけでも遠くまで来た気がした。そんな別の銭湯のポスターで、初めて酒井和歌子の存在を知る。いまでも酒井和歌子といえば、そのポスターの中の彼女である。★北野湯の造りは昔とまったく変わっていないようだ。煤けた煙突が懐かしい。その煙突には北野浴場とある。その頃はいつもは北野湯と呼んでいたのだけれど。