柴又、記憶のうちに18

公園とおたまじゃくし
 小学生の放課後の行動範囲の北限はせいぜい金町公園までだった。何らかの用事で水元公園金町駅まで行くことはあっても、それは休日に限られている。南の行動範囲なら鎌倉公園ということになる。ここには面白い遊具があったが、なにせ遠いので、数えるくらいしか行ったことがない。その点でいうと、金町公園は日常的な遊び場だったということになる。
 砂場、滑り台、シーソー、ジャングルジム、ブランコ、こういった言葉を聞いて、思い浮かぶのは、すべて金町公園にあったそれらだ。さらに水のおいしさでイメージするのも、高原のせせらぎではなく、ここの水飲み場となる。8月のよく晴れた日、遊びの途中で全身をポンプのようにして飲んだ大量の水が、いままで一番おいしかった水なのだ。
 この金町公園はその姿をだいぶ変えていた。安全のためなのか、遊具の数も減り、池を渡していた橋も無くなっている。当時、新設されたプールも、水辺の遊び場のようなものになっていた。
 この公園で親たちが撮った40年近く前の写真が数多く残されている。滑り台を低いアングルから捉えたもの、ブランコで空まで届こうとしているものなど、構図も凝ったものが多い。そういった遊具で遊び子どもたちの写真をいまの親が撮れないとしたら、少し寂しい。
 子どもたちは昔と同様に遊びの天才である。7年前に訪れたときには池の近くで網を巧みに操っている子どもたちがいた。聞けば3年生であるという彼らはおたまじゃくしを採っている。獲物は悲しくなるぐらい小さいが、彼らの必死の形相を見るとこちらまで楽しくなってきた。写真を撮ってるとそのわけを問うので、ずっと昔、ここに住んでいたと伝える。彼らはちょっと不思議がりながら納得したようだ。彼らにとって数十年という歳月は想像できるものではないのだろう。
 それから7年、たぶん高校生になっている彼らは、ここでの「おたまじゃくし採り」をどのように思い出しているのだろうか。
★今回訪れた金町公園は、さらに遊具が少なくなっているように思えた。ただ樹木は確実に大きくなっている。