柴又、記憶のうちに19

 おじさんの技量
 柴又に引っ越してきた日、一家は一台のトラックに乗ってやってきた。運転席の後ろに仮眠の空間があったのでそこに母親と妹、そしてシートにはドライバーと助手、そして父親と私が座った。ドライバーは時たま私に首を引っ込めるようにいう。警官かそれらしきものが見えたのだろう。明らかに不法行為だがもう45年も前の話だ。しかしさらにそれに上塗りするが荷台に、引っ越しの助っ人3人乗っていたことだ。当時は幌トラックだったので真っ暗になることはなく、中で冷蔵庫を開けてビールを飲もうとしたが、振動で溢してしまったといっていた。ほんとうだろうか。その3人とはおじさんが二人に、かなり年齢が上のいとこが一人だったが、当時の私からすると三人の「おじさん」ということになる。
 アパートに到着して荷物を運び込んでしまうと、おじさんたちはすぐ近くに金物屋を探し出して、小さな穴の空いたボードや金具を買って帰ってきた。そして器用なことにあっという間に台所用具を吊るす場所を造ってしまったのだ。以前の社宅に較べてここの台所はかなり狭い。子どもにとってそれはどうでもいいことだが、母親には寂しい限りだったろう。その気持ちにおじさんは小さなバラを差し入れたようだった。
 私もその台所でホットケーキやお好み焼き(作り方はほぼ同じ)に挑戦し、プラモデルの潜水艦の試運転を行なった。そして前にあるそのボードを見るたびに「のんべいおじさん」の力量を再確認したものだ。
 そして4年後、草加に引っ越しときもおじさんが手伝ってくれた。わが家は初めて小さな庭を手に入れた。おじさんはどこからか材木を調達してきて、ちょっとモダンな囲いをチョチョイのチョイと造ってしまった。その囲いには後にバラの蔦が絡まることになる。
 このおじさん二人はもうこの世の人ではない。★引っ越し当時お世話になった金物屋さんは同じ場所にしっかりとあった。店舗の前には脚立が並べられている。屋根の上に見えるのは、12で書いた鉄塔だ。