柴又、記憶のうちに22

 文鳥と古本
 たぶん古本屋に入るのは初めてだっただろう。父と二人でその店に入り、父がたまたま見つけてくれたのが『文鳥の飼い方』という本だった。当時、私は手乗りの白文鳥を飼い始めたばかり。50円という価格にびっくりしたが、今も古本屋の均一台にはそんな価格の本が並んでいるので特に安いということではないのかもしれない。いや古本の価格が上がっていないということなのか。
 その店は新刊本屋とは違って、やや埃っぽい独特の雰囲気を持っていたが、小学生にとっては単行本自体が関心の外だったので、再びその店に入ることはなかったと思う。当時の私たちにはリアルタイムしか存在せず、思い出や後悔という言葉の意味を知るのはたいぶ後のことになる。
 ともあれ、その内容そのまんまの『文鳥の飼い方』は私の蔵書第一号となった。白文鳥は父方の実家近くの小鳥屋で、まだヒナの時分に買ったものだ。その坂の途中の店は、『東京の坂』(中村雅夫)に出てくるカナリヤ坂の店とも思えるのだが、確信はない。まだ黒っぽい産毛の残るヒナにヘラを使って、柔らかくした餌を与える。そうするとそれを親だと思って「手乗り」になるのだという。名前はピコと付けた。やがて産毛はすべて抜けて、身体が真っ白で口ばしがピンクがかった赤のきれいな文鳥となった。
 窓をしっかり閉めて逃げ出さないようにしてから、そのピコとよく遊んだ。しかし子どもの常として面倒みるといいながらも、やがて掃除をサボるようになり、親に叱られる。
 ピコは2度この家から脱走した。一度目は私が学校に行っているときで、私ががっかりするのを心配して母親は小鳥屋へと走り別の文鳥を求めたが、その店に文鳥がいなかったのでセキセイインコを買って帰ったが、そのうちに近所の人がピコを捕まえて、わが家に戻ったのだという。よって私は話だけしかその顛末を知らない。
 二度目のそして最後の脱走は朝、鳥かごの被いを取ったときにそれが扉に引っかかり開いてしまったためだった。ピコはあたりを飛び回った。一度だけ私の指に留まったが、身体を包もうとすると、また飛び立ってしまう。そして翌日、学校の朝礼のときに屋根の上に現れた。先生は学校の鳥小屋から逃げたと思ったらしいが、そんな鳥はいないはずだった。彼らは補虫網でピコを捕まえようとしたけれど、捕まるはずはない。そして二度とピコの姿を見ることはなかった。
 たまに赤羽を歩くと古い小鳥屋の前を通る。そこには何羽かの白文鳥がいる。それを見ると今でほろ苦い気持ちになってくる。私の最初の蔵書である『文鳥の飼い方』は、きっと実家の片隅にでも隠れているのだろう。★古本屋があったと思われる場所は、新刊本屋になっていた。