区民講座初体験01

oshikun2009-12-21

 セミナー初体験
 板橋区主催の文化財講座『板橋区域の近代化と軍都の形成』に行ってきました。こういった公的機関が開催する行事に参加するのは、たぶん初めての体験です。
日程は12月12日、13日の土日は座学でしっかりと勉強、そして翌週の20日の日曜日に参加者が隊列を組んでの実地検分。もともと板橋区北西部は、高島平の由来となった高島秋帆が幕末に洋式火縄銃や大砲の演武を行なった場所で、そのことについては板橋区立郷土資料館のイベントなどである程度知っていたのですが、近代以降はほぼ知識ゼロの状態でした。
 ただ澤太郎左衛門が主導して火薬製造を始めたなど、興味深いこともあったのでこれは参加しないわけにはいかないと、ネットで申し込みをしたのですが、これがやや面倒。
 まずは東京都のそういったシステムに登録して、いろいろとIDなどを入力してから、またメールをもらい、そして再度申し込むという手続きがあるのです。まあネットを使ったこういったシステムは当たり前なのでしょうが、いつまでも素人のワタクシとしては躊躇の連続でした。
 さらに12月に入らないと応募者多数の場合の抽選結果もわからないので、もともとろくにないはずの予定も立たず、さらにどうやら当選というメールが来た後も、その案内の書類を開けるのにまた暗証番号が必要でドキマギしてしまいました、とさ。
 と前置きが長くなりましたが、初日は「近代の板橋区・北区における軍都化のはじまり」と題して、主に幕末から明治・大正期までの話で、佐々木譲さんの『武揚伝』と重なる部分もありました。幕府によって反射炉滝野川に造る計画があったとかで、その例として江川太郎左衛門ゆかりの反射炉も出てくるなどヨシヨシといった気分です。
 加賀藩下屋敷が、板橋界隈の軍都化に大きな影響を及ぼしたというのも納得です。いやはやこれだけ広大だったのには、改めてびっくり。これでは屋敷というよりも国といったほうがいいかも。まさに山あり谷ありで、その山や谷をいろいろと役立たせることが、当時の人たちの器用さを表しているようですね。ただし勝海舟の文献に拠ってしまいがちなのがチト残念なところ。
 また内乱鎮圧を任務とした初期の軍隊が、対外戦争へ向けて再編させていく過程も興味深かいものがありました。講師の方が自身のオリジナルの研究ですといって紹介した明治期の「迅速図」や「偵察録」は、庶民の暮らしを知る上でも一級の資料なのでは。
 参加者はさらりと見たところ平均年齢65歳というあたりで、私とてかなり若年層でした。ひとりの方が太平洋戦争に触れていないということへの不満を切々と訴えていたけど、それは次回なので、よろしくお願いします。★講座とは直接は関係がないのだけれど、反射炉「都内」建設説に関する説明として、韮山反射炉が紹介されていたので、3年前に訪れたときの写真を掲載しておきます。うーむ、やはり近代的なフォルムだなぁ。鉄の枠は倒壊を防ぐために後から着けたものだそうです。タイトル横の写真は次回以降に触れる昭和初期の職業別地図ですが、火薬製造所がある板橋町7丁目は他の施設どころか番地ありません。