区民講座初体験04

oshikun2009-12-24

 施設を残した偶然性
 そして一行は現在の野口研究所、戦時中の火薬研究所(二造板橋工場23号屋など)の中を並木に沿って進みます。そしていくつかの建物を過ぎてからその隙間に入ると、脇にやや小振りな土管のようなものが横たわっていました。これが弾道管と呼ばれる施設で、当時は2本あったものが現在は1本だけ残っています。
 説明ではこの野口研究所は、国から土地を借りているので構築物を撤去することができず、よってたくさんの遺構が残っているのだそうです。文化財にはうれしい偶然といえるでしょう。この弾道管は、残念ながら人垣ができてしまったので撮影しませんでした。
 現在の弾道管の端は野外ですが、当時は建物の中にありました。壁にはかすかに丸くその名残があります。ここで弾丸を飛翔させてその勢いなどを計測していました。弾道管のもうひとつの先は東にある築山の方を向いています。この築山は加賀藩下屋敷にあったもので、それをそのまま着弾場所として利用していたのです。この標的跡については後日触れましょう。
 この弾道管に近くにあるのが、昨日写真をアップした防爆壁です。この壁の向かい側には小さな部屋のようなものがいくつも並んでいて、そのひとつひとつの奥に堅固な鉄製のドアがついています。その内部でも火薬を爆発させていました。つまり弾道管では飛ぶ性能を、防爆壁では爆発そのものの実験をしていたということになるでしょうか。
 そして一行はさらに先に進みます。防爆壁の向かい側にある施設。ここには小さな空間がたくさん並んでいる。ここで火薬は爆発させてその威力を実験していたのだという。
★上の写真の反対側。ひとつひとつの小部屋は鉄製のドアで閉じられるようになっていて、爆発の衝撃を防いでいる。タイトル横の写真は明治33(1900)年当時の板橋火薬製造所。