区民講座初体験06

oshikun2009-12-26

 軍都の小さな動脈
 加賀公園の築山を下りて、一行は金沢橋を通って石神井川を渡る。この辺全体が加賀藩下屋敷だったから、金沢橋というネーミングなのですね。そのまんまですが。そして細い坂をぐいぐいと登る。いやはや皆さん健脚であられる。愛誠病院近くの埼京線を跨ぐ橋の上でいったん停止。この十条駅板橋駅の間にある橋は、1万分の一の地図やグーグルで見た限りでは名前が見つかりませんでした。
 ここで今まで解説していた板橋区の人から、北区の人へとバトンタッチ。そうここが板橋区と北区の区界でもあるのです。その解説員の指示に従って埼京線の板橋方向を眺めると、少し先の崖の中あたりにコンクリートの台のようなものが見えます。これが戦争当時に敷設されていたトロッコ電車の橋脚の一部だということです。
 当時、このトロッコ電車が、西は前に見てきた火薬研究所のさらに先の加賀二丁目公園あたり、南は滝野川に延びた支線がこの橋の少し東南で合流し、東は現在の十条駐屯地を横切って王子駅東十条駅の中間近くを越え、さらに石神井川隅田川が出合う地点まで敷設されて、ここには運河まで造られていたそうです。
 隅田川から運ばれて物資はこの電車に載せられて、軍都の各施設に送られていきました。解説員によると、当時列車といえば蒸気機関が一般的でしたが、なにせ火薬を多く運ぶ関係から、引火の可能性の低い電気が用いられたとのこと。その資料の写真を見るとドラマ『坂の上の雲』に出てきた路面電車のような機関車に、6から8人乗りの客車、それに小さな無蓋車がつながっているというもの。別の図には「リヒテルフエルドの電車略図」とありドイツ製のようです。現代の眼からすると、かなり頼りないように見える列車ですが、これが軍都の動脈を縦横無尽に走り回って、その鼓動を支えていたというわけです。埼京線板橋駅十条駅の間にある、北区側のトロッコ電車の橋脚の土台。
★こちらは板橋区側。逆光で見にくいが、下の構造も写っている。タイトル横の写真は当時走っていたトロッコ電車。