区民講座初体験09

oshikun2009-12-29

 歴史を積んだレンガの壁
 その白い塗装の下に、語りつくせない歴史を刻んだ中央公園センターを後にして、見学会の一行は最後の目的地、北区中央図書館を目指して公園の中を進みます。このあたりは王子野戦病院だった当時、ベトナムから傷病兵を移送してきたヘリコプターの発着場になっていたはずです。
 資料によると、戦後米軍に接収されていた一造も、1958年にはその一部が日本に返還されて、そこに陸上自衛隊が入り、翌年の1959年からは武器補給処十条支所として使われ始めたということです。朝鮮戦争を経て講和条約、そして自衛隊の黎明期と、まさにその動きに戦後の国際関係が見て取れます。
 それでも施設の半分はまだ米軍のものだったので、昨日書いたように引き続き極東地図局や野戦病院として使われていきます。
 その後、防衛施設再編計画により、赤レンガ棟などの一部が北区に移管されて、昨年の2008年に建てられたのが中央図書館で、別名赤レンガ図書館と呼ばれているように、外壁と構造の一部にかつての赤レンガ倉庫を利用しています。
 この地に日本の軍施設が作られたのは、日露戦争の1905年で当時は東京砲兵工廠銃包製造所という名前でした。この赤レンガ棟が、弾丸鉛身場という名の弾丸工場として建設されるのはその14年後、第一次大戦が終わる1919年です。このあたりは二造と同様に何度も名前が変わり、一造(東京第一陸軍造兵廠第一製造所)となるのは、三国軍事同盟が結ばれた1940年のことです。時代に対応して形と名前を変えていったということでしょうか。
 中央図書館の内部はモダンでありなから親しみやすいデザインで、訪れた日が日曜日ということもあり、多くの区民が集っていました。当時の外壁だけでなく、内部からも土台や鉄骨の柱、屋根の構造材も見ることができます。
 大正8年から90年の歳月をこのレンガ棟は過ごしてきました。それはレンガ棟にとってまさに軍事一辺倒の歴史です。その場所に歴史の集積ともいえる図書館が建てられたことに、大きな意味と意義を感じざるを得ません。このレンガの壁ひとつからも学び取ることはたくさんあるはずです。
★北区立中央図書館の正門付近。実際の出入り口はこの左側にあり、内部は外観とはまったく違ってモダンな造りとなっている。いやこのレンガ棟も当時としては最先端のモダンなものだったのだろう。★図書館の1階西側はレンガ棟の外壁に覆われているが、南にある北区の部屋には渡り廊下状のものでつながっている。この「北区の部屋」には今回の講座でお世話になった説明員の方が調査・研究をされているという。タイトル横の写真は、図書館西側で自衛隊の敷地と面する壁。並行して遊歩道がある。