入り江の思い出

松の内という名の「正月気分の猶予期限」には、七草粥の7日とか鏡開きの11日といった諸説がありますが、どっこい今年の世間は正月気分など最初の元旦からなかったかのようで、どこかで身を丸くしていた少数派の「気分」たちさえも、吹きすさぶ強い風によって、どこかに飛ばされたかの本日6日ではありますが、このブログは言ってしまえば、365日ずっと正月気分でありまして、かつての海老一染之助・染太郎の「いつもより多く回しております」の「いつも」の不在と同様に日常を欠くこと甚だしくも、また富士山がらみの話題と顰蹙を買う次第であります。
 さて、かくゆう私が珍しくも覚えている和歌のひとつに、「田子の浦ゆ うち出でてみれば 真白にそ 富士の高嶺に 雪は降りける 」というのがあります。まさに海の青さと山の白さが脳裏に映り、素人でもわかりやすい歌なのですが、どうして覚えていたかというと、それはそんな風情が微塵もない理由からなのでした。
 和歌を諳んじることが授業ので行なわれたのは、中学時代だったと思います。しかしその頃は公害問題の深刻化が明らかにされてきた頃でもありました。「田子の浦」もその一つで、富士川を使った製紙工場から排出されるヘドロが田子の浦に溜まり、その状況が日々のテレビや新聞で報道されていました。だから私たちは、田子の浦が風光明媚な場所ではなく、その底にヘドロが堆積した湾であることを知った上で歌を覚え、その印象の強さが記憶として残ることになったのでしょう。
 しかしヘドロという言葉がすでに一般的でないとすれば、この和歌も復活しているといえるかもしれません。自然を詠った和歌は、その対象が今もそのままであることで、さらに美しくあると思います。