柴又、記憶のうちに25

 小さくなった映画館跡地
 「こんなに小さくはなかった」という思いが広がっていった。
 そこはかつて映画館があった場所。今では某スーパーの事務所になっている。1960年代の数年間、私はここにあった映画館で「サイダ対ガイラ」、「南海の大決闘」、「キングコングの逆襲」、「ゴジラの息子」といった怪獣映画を楽しんだ。さらに「山本五十六」や併映のクレイジーキャッツ加山雄三の映画なども観た。
 その頃はエントランスの前にロータリーがあって、その周囲にスチール写真やポスターの掲示板が立ち、建物には上映中と次回上映予定の大きな看板が掲げられていたはずだ。それがこんな小さな土地に収まるなんて、記憶はものを膨らませる名人なのかもしれない。
 子どもにとっては映画鑑賞も一大イベントで、自分ひとりか友人といっしょに、やや神妙な気分で映画館に入る。手にはパンの入った袋。それをシートに座ってから暗がりの中で食べる。パンフレットには手が出せない。きっと高かったのだろう。あるとき怪獣の足型が載ったチラシのようなものがもぎりの台にあった。タダなのかと思ったら、かなりの額である。おいおい子どもはそんなお金を持っていないぞ。
 テレビではまだ「ウルトラQ」が始まっていなかったので、怪獣に会えるのはこの映画館だけだった。
 実は柴又に来る前に、当時住んでいた大船で「地球最大の決戦」を、家族総出で観ることになっていたのだが、映画館は超満員で諦めざるを得なかった。その時の残念さが、柴又での映画館通いを加速させたのかもしれない。
 一度だけどういうわけか母親が同伴したことがある。きっといっしょに行く子どもの親が、子どもたちだけではダメといったのだろう。彼女は最初怪獣映画をばかにしていたが、最後は「ちゃんと作られているのね」と映画自体を楽しんだようだ。
 ただ怪獣映画に夢中になったのはこの数年だけで、そのあと量産されるゴジラ映画は、映画館ではまったく観ていない。しかしまたにテレビの放映で観ると、決まって落胆することになる。独断だが、円谷英二さんが関与していないからだ、と思うのだ。★夕暮れ迫るかつて映画館があった場所。当時は近くの立石にも映画館があったはずだが、小学生が近づける場所ではなかった。そこの映画館ももうないのだろうか。

追記:かの岡崎武志さんのブログのデザインが、本日から当ブログと同じ仕様となった。なんだかうれしい。昨日は氏の『あなたより貧乏な人』を楽しんだばかりである。