十年前の住まい探し12

oshikun2010-02-13

 マンション探し前史
 これまで書いてきたのは2001年春から始めたマンション探しについてだけれども、実はその2年ほど前から、チラシやインターネットの情報を元にして、ちょっと気まぐれのように、いろいろと物件を見に行ったことがある。その中には、上落合の土地や新井薬師の一戸建てといった物件もある。その場での経験が、一戸建てを断念する理由のひとつになっているかもしれない。
 上落合の土地は、雨の日だった。高級住宅地の隙間のワンブロックを大家族のケーキよろしく、細かく区切ったその売り地はあまりに寂しかった。しかも営業マンのクルマはベンツである。私は彼らの前を素通りした。
 新井薬師の一戸建ても住宅地にあった。路地のまた路地を右往左往して、見つけたその物件は3階建てで、間口は大股なら2歩で届いてしまうほどに感じられた。間取りは狭さを有効に使う工夫は随所にあったのだが、やはり物理の法則は曲げられない。
 そんなこんなで、私が土地や一戸建てを見ることはなくなった。インターネットなどで、もっと郊外の土地の値段を調べたり、建築家の作る一戸建ての情報を集めたりはしたが、実際に現物を見るという行為は、てっとり早いマンション限られていくのである。しかしそれもまだ前史の範疇ではある。
 その一番手がマンション「都立家政A」だった。西武新宿線都立家政駅から北へ300mほど商店街を行くと新青梅街道に出る。そこを左折して、路地に入ってすぐの場所にそれはあった。ちょっと日が陰り始めた午後、広告が功を奏してか、お土産があるのか、来客数はとても多くて、小規模な物件なのに営業マンがクルマで来る客の交通整理をしていた。こういった雰囲気は、もしかすると私が直接的には経験することのなかった、バブルの時代のものなのかもしれない。
 こんなに人がたくさん来る現場にいれば、人は躁状態となって、ついつい喧騒の中で印鑑をカバンから出してしまうそうである。くわばら、くわばら。
 販売会社にはいろいろな作戦があって、大々的にプロモーションでイッキに売ってしまったり、地道な営業でゆっくりと売ったりするのだろう。その点でいえばここは前者で、すでに弾けたバブルの雰囲気を、うまく幻影として使っているのだ。
 さてこの「都立家政A」は低層階型のマンションで、間取りは極普通の田の字型。価格は4000万円台から5000万円台前半あたり。床面積は50㎡から70㎡ぐらいだろうか。私には、これだけの客がくるのが、とても不思議に思えるくらい魅力の乏しい物件だった。ゆえに全体の構造も内装もほとんど憶えていないのだ。記憶にあるのは、来客が連れてきた子どもの声や物件に至る商店街の雰囲気である。そういえば私には営業マンすら付かなかったようだ。最初から客として遇されていなかったのかも。