十年前の住まい探し13

oshikun2010-02-14

 バブルが弾けた場所に建つ物件
 そしてマンション探しの前史はまだ続く。
 マンション「都立家政A」を見た日は、そのままマンション「鷺宮C」も見に行くことにした。しかも止せばいいのに、そのまま歩いていこうとしたのだ。その大胆な行為を回想するだに当時の健康状態がうかがえる。私は都立家政駅を通り過ぎ、街を斜めに南下して、いろいろ迷った挙げ句に、やがて妙正寺川に出会う。そこをそのまま遡上すれば、モデルルームの近くにたどり着くはずなのだが、いま地図を見てみるとかなりの距離があり、川沿い近くを歩けない場所もある。結局、普通に歩く時間の倍ぐらいを費やして、目的地に着いたのだった。あたりは真っ暗である。
 先ほどまで私の周りを取り巻いていた「都立家政A」の喧噪が嘘のように消えて、そこを静けさがこごっているようだった。マンション「鷺宮C」のモデルルームはまるで入館時間後の博物館のように人の気配がしない。そこにおっかなびっくり入っていくと、初老といってもいいくらいの年齢の営業マンがスーッと出てきて、中央に模型を展示している応接スペースに案内する。私の前には、履修する学生の少なそうな大学教授風の営業マンが座ったのである。彼の質問の口調がそこの静けさを際立たせる。
「ご予算はどのくらいをお考えで……」
「どの程度の物件にご興味が……」
「いつ頃からお住まいのご予定で……」
 何にも決めていない私にとっては、とても難しい質問なわけだが、こういった所に来る人なら、ほんとうは「待ってました」とばかりにスラスラと答えが出てくる質問である。やっぱり来なければよかった、と思ったが、その辺も見透かしているような「老教授」営業マンは、あやふやな私の答えにも親切に対応してくれている。しかしやっぱり高い。田の字型物件で、ほとんどが5000万円台の後半である。
 私との「商談」が済むまで、他の客の来訪はなかったようだ。親切にプリントアウトしてくれた銀行ローンの返済予想表を手に、私はモデルルームをあとにした。もうすっかり夜である。
 近くの建設地は布と鉄板のフェンスで覆われていて、砦のようにも見えた。休みの日だからか、夜だからなのか、もう工事はしていない。営業マンの言葉にあった「近隣のスーパー」ももう閉まっていた。建設地となったのは証券会社の寮があった場所だという。そうあの有名な今は無き証券会社である。そのことが少しだけ嫌だった。南側には保育園と古い都営団地がある。もしここを買ったとしたら、これらを眺めて暮らすことになる。そんなことを考えて、少し「ふう」と息をついた。
 ところで、ここから駅まではどういったらいいのだろう。
 後日、「老教授」からは何回か電話があり、最後に私の賃貸マンションまで彼はやって来た。少し冷たい対応をしてしまったことが澱のように心に残っている。