バンスできない思い出

 ある作家さんが自身のブログで『上海バンスキング』に触れているのだが、それを読んで20年ほど前の記憶が甦ってきた。
 私が観たのは、たぶん1990年、渋谷のシアター・コクーンでの上演。ほとんど内容も知らないまま、人に連れられていったのだった。
 演劇といえば学生演劇か、それにちょっと毛が生えたくらいのモノしか観ていなかったので、それらと異次元的に違いにまずは感銘。そして演劇という場を、さらに音楽で豊かに膨らませたその心地よさをおおいに堪能した。
 さらに驚いたのが幕が下りてロビーに出たとき。吉田日出子さん以下、バンドの面々が揃って目の前で演奏を繰り広げ、客を送り出しているではないか。ロビーはいわば劇場の内と外との結界の場で、架空と現実の狭間の緩衝地帯のはずなのだけれど、そこでマイクを通さない音楽を浴びてしまっては、まさにいい意味で「こりゃもう、たまらない」のだ。

 たまたまその日は同僚のカップルも来ていて、少し話もした。彼らがかなりの演劇好きだということを初めて知った。
 かつて渋谷にはずいぶんと通った。
 高台にあった掘っ立て小屋の不思議な居酒屋は、客よりも「大将」の方が威張っていたが、帰るときはいつもさびしそうな顔をしていた。一度入ってかなり気に入った坂道の途中にある小さなネオンがキレイだった店は、また出かけても結局見つけることはできなかった。田舎に帰るやつの送別会を盛大にやろうと、かなりの人数が集まったけれど、本人に知らせるのを忘れていて、慌てて電話がないアパートまで走った。忘年会に先輩が集まってくれたのは、駅前の池に私を落とすためだったが、あまりに重かったのでその計画は失敗に終わった。ジャンジャンで「授業」を観たあとは、すぐに感想をいいたくて駅前から長電話をしていた。何度か公園通りの車道を歩いたとき、その風景はいつもの渋谷とまったく違っていた。

 それから20年、あの頃の演劇体験も今思い出してみると、自分の過去の「いろいろなこと」のひとつの座標点にもなっているようだ。