『ミツバチのささやき』をささやく・補B

oshikun2010-08-07

1.2.3のまとめの補足と訂正
 一部繰り返しになりますが。
 前回の書き込みで、この映画は「内部」に進む側面を持っている、と書いた。それは導入部で、映画のイラストを拡大して本編が始まることで、これが映画であることを「自己確認」している内部性、フェランヘ党の支配地域であることの内部性、そして蜜蜂の巣状の格子窓を養蜂箱に擬した内部性の三つ。
 さらに原題の「蜜蜂箱の精霊」という箱の内部性。蜜蜂箱に精霊がいるとすれば、この屋敷に住む人々が精霊なのか。
 また寝室でのイザベルとアナの会話。フランケンシュタインの怪物は、おばけ(ファンタズマ)ではなく精霊(スピリト)であるという。とするとこの家族とともに「怪物」もまた巣箱の中の精霊ということになるのか。
 イザベルはアナに「私はアナです」といえば「怪物」=「精霊」と友だちになれると告げる。その瞬間に足音が聞こえ、彼女たちは驚く。それは二階を歩く父親の足音。父親はまた彼女たちにとって「怪物」=「精霊」なのか。
 この父フェルナンドは、公民館から聞こえるフランケンシュタイン博士と助手の会話、科学のために、とんでもないものを造ってしまったという意味のセリフを、蜜蜂の巣状の格子窓から聞き入る。フランケンシュタイン博士=フランコ将軍(????)。
 フランシスコ・フランコフランケンシュタインのスペルはFRANまでは同じ。フランコはこのあとCOが付くだけでいい。
 父フェルナンドは、フランケンシュタイン博士=フランコ将軍によって「巣箱」に入れられた精霊か、と考えると、ミツバチの観察ノートの文面の意味が明確になっていく。
 朝、机に突っ伏したフェルナンドの前に折り紙の鳥が二匹。一匹にだけ目が開いている。これは続く学校にシーンへと繋がる。

 ちなみに公民館での映画上映の場に、若いベレー帽の男たちが出てくると書いたけれど、確認したら、かなり年配の方々でした。スミマセン。やや若そうなのは上映技師だけです。