さらに「もう一つの別の広場」
今朝、野沢那智さんが亡くなったことをニュースで知る。
そのニュースで流れた彼の声には、懐かしさ以上のものを感じた。
さて、以上のものとはいったい何なのだろう。
ラジオを聴かなくなって久しい。
数年前に林美雄さんが亡くなったときは、かなりのショックだった。私の「成分」の数パーセントかは、きっと彼が「発信」したものでできていると思う。
ちよっと調べてみた。亡くなった年齢は林さんが58歳、土居まさるさんも58歳、自殺した松宮一彦さんは41歳、糸居五郎さんは63歳、とにかくみんな若すぎる。
野沢さんは72歳ということだが、今日日、まだ死ぬ年とはいえない。
あの頃、といったくくり方は好きではないが、やはり「あの頃」ということになってしまう。あの頃、幻想だといわれれば、はいそうです、と答えるのにやぶさかではないが、彼らの「しゃべり」は自分たちと「交通」していたと思う。
だから何年か、いや何十年ぶりかに聴く、金曜パックの声は、まるで昨日、サヨナラといって別れた友人の声のようだった。そしてその感覚は「あの頃」を、自分の前に立ち上がらせる。
さて、私はそれにどう挨拶すればいいのだろうか。