京都へっぽこ珍道中 その十一

 結局、「露庵 菊乃井」には予約した時間よりも早く着いてしまったが、勇気を出して戸を開けると、女将さんがにこやかに案内してくれる。
 入り口を右に折れると、そこは一段低くなっている。水を打って黒光りしている石の上を歩く。石の隙間には玉砂利が敷かれ、ところどころには草が生えている。室内なのだが、まるで離れに向うという雰囲気だ。
 明るくなると、そこに10席のカウンターとテーブルが二つの空間が広がる。派手な色がまったくない、落ち着いた雰囲気だ。一組二人の先客が、いま着いたという感じで座っている。
 今回はツレの奢りである。
 で、一番高いコースとなる。レトルトカレーにサラダがあれば最高の私は、一食に掛ける金額ではないと思うが、いろいろとつぎ込んでいるので、潔くゴチになることに。でもやっぱりこの後はコワイ。
 とにかく、カウンターの方を向くことにする。
 まずは猪口、ゆずをくり貫いて中に、ゆず風味の暖かい豆腐。冷えた身体にはありがたい。
 八寸には、紅葉風に切ったイカや、松葉と見まがう蕎麦が添えられている、などと書いていくと切りがないので、あとは写真の献立をご参照ください。
 少しすると、ジェントルな紳士が一人やってきて、私の左隣りの席に座る。板さんと彼の話を聞くと、台湾の方でほんとうは家族で予約を入れていたけれど、母親が病気になったという。
 「そうなんですか」と板さんがいう。
 「はい、ハイエンになりました」
 「ええっ、肺炎ですか。それは大変ですね」
 「はい、それで、台湾に帰りました」
 「お帰りになったんですか。大丈夫でしたか」
 「そうです。帰りました。大丈夫です。だから私、一人で来ました」
 彼のコースは私たちのものと同じらしい。彼は出てくる料理の一つひとつに質問をする。
 「これ、フォアグラ、ですか」
 「いえ、あんきもです」といった具合。それをしっかり日本語でメモしていく。
 チラチラと彼の顔を見ると、若い頃の神足裕司さんに似ていると思った。そう、あの「恨ミシュラン」の神足さんである。まあ、他人のそら似なんだろうけれど。そうでないと、ちょっと大変だ。
 コースが進む。たくさん食べているのに、スルスルと入っていく。献立をアップしたけれど、実はこれ、後でいただいたものなのだ。だからほんとうは、次に何が出てくるか客にはわからない。向こうで捌いているものや、盛り付けているものを見て、いろいろと想像してみる。それもまた楽しみのひとつだ。
 あっ、あれいいかも、なんて思っても、たまには別のコースの人の前に運ばれていくこともある。
 ちょっといい香りがしてきたと思うと、近くで蟹を焼いている。そういったひと時の連続がたまらない。
 そんなわけだから、あとでツレが、「たらば蟹だったら、もっと匂いも、味もよかったのに・・・」などというが、店中にその匂いが広がってしまうのはチトまずい。
 彼女は御飯物の「いくら飯」でキブアップだったが、それ以外のものは平らげて、デザートのキャラメルアイスと蕎麦カステラもしっかりと食べていた。
 そうして京都の夜は更けていくが、まだまだ終らないのだ。