京都へっぽこ珍道中 その十

 さて一行は(といっても二人だけだけど)、先斗町というラビリンスをどうにか抜け出すと、また別の意味での迷宮に足を踏み入れようとしているのではあった。
 といっても、ビビッているのは、私だけなんですが。
 先斗町の路地を出ると、向かいは四条通りで、そこを越えると目指す「露庵 菊乃井」があるはず。でも実はツレにしたところで、そこに行くのは初めてだという。
 で地図をパラリと広げる。
 「あっ、そこを右にいって、すぐ左だな」
 「いえ、左にいってすぐよ」
 「・・・・・」
 「・・・・・」
 結局二人は同じことをいっていたのだが、どうも双方ともに反対のことと理解していたようだ。
 やっぱりふたりとも緊張していたのだろう。
 というのも、この店はとあるMという、これはこれは有名なガイドブックで、そのお墨付き印を二つももらっているのだ。彼女はいざ知らず、この私がそんな店は入るのは「すきやばし次郎」以来である、というよりも、きっと人生で今度が二度目だろう。
 さて、かくなる「露庵 菊乃井」の、その入り口は、大通りから少し入った静かなところに佇んでいた。これはかなりいいことだと、いまにして思う。以下、なぜ思うに至ったかを、縷々説明いたす。
 まずは、やはりお店というもの、何はともかく入店する瞬間が大切なのだ。大通りに面しているならば、人通りの多いなかバタパタと入店しなくてはならず、車の往来の激しいときに、その騒音とともに店に入らなくてはならない、ということになる。これは少し興を削ぐ。
 しかし大通りから少し離れているだけで、そういった喧騒からひとまず客は抜け出して、ひと息分だけ呼吸することができるのだ。
 もちろん、賑やかな居酒屋やラーメン屋に入る場合は、そんなことを気にする必要はない。勢いよくのれんをくぐることこそいきというものである。
 白状してしまえば、私はこれまで店に入る瞬間などに関心はなかった。つまりは今回は「露庵 菊乃井」に教えてもらったことになる。味わうということは、店に入る前から始まっているということを。


 店は四条通りからほんの十メートルだけ木屋通りに入ったところにある。隣りを高瀬川が流れている。その微かな水音が、大通りから近いにも関わらず、静寂を呼び込んでいるように思えた。川幅がもたらす暗闇もそれを強調してくれる。
 店主は、そんな絶妙な場所に店を構えたのである。
 その静寂の先に、私は何を見たのだろうか。
★はい、写真は本文とは関係ありません。