京都へっぽこ珍道中 その十三

さて、今夜のお宿の名は「田舎亭」。
 かのMというガイドブックでも、印を一つもらっていて、なおかつテレビでも有名人が紹介していたという。石塀小路に一角に、ふんいきのある宿が比較的リーズナブルな価格で存在する。それだけでも惹かれるものがあったに違いない。周辺の名所にもアクセスしやすい。
 こういったことで、ツレは京都の宿としてここを選んだのだろう。
 まあ、とにかく散策ポイントや食事、そして宿や新幹線のチケットまで、すべてをツレにお願いしたので、私はかすかな疑念にかられつつも、その門をくぐったのだ。
 だけど「田舎亭」なんていうネーミングからして、ちょっとね。
 泊まったのは、この宿の離れである。だから以下の記述もその離れについての感想に過ぎない。一応、念のため。
 玄関で来訪を告げると一人のおばさんが出てきた。50歳代後半だろうか。こちらの名前をいう。
 普通、離れというと母屋の廊下を歩いてから、石畳かなにかを通って、
「こちらどす」
なんて、案内されると、思うでしょ。でも違うんです。
 私たちは入った玄関を出て、足元が危なっかしい母屋の縁側の前を通って、暗いので簾にぶつかって怪我をしそうになりながら、その「現場」に到着した。そこはまさに「現場」だった。
 その離れという名の「現場」を見て最初に思ったのは、昔の友人のことである。農家だった彼は庭に四畳半ほどの勉強部屋を造ってもらったのだが、もちろんそこは友人たちのたまり場となった。当時は新しかったので、居住性もそこそこに良かったのだが、私が今回その離れを見てイメージしたのは、30年経ったら友人の「勉強部屋」もこんな風だろうなぁ、というそれである。
 もちろん戸に鍵らしきものはない。
 中に入る。とにかく寒い。
 「お風呂ができてます。今でしたら、最初になりますえ」
 とかなんとかお茶も持ってきたおばさんがいったので、とにかく最初に風呂に入ることにした。その風呂についての描写は遠慮しておこう。とにかく入ったあとに悲しくなるような風呂であったことは確かだ。ここで浸かるのなら、わがマンション風呂の方が何倍かマシである。
 で、普通、宿に着いたら、女将の挨拶というのがある。
「今日は、おおきに」
「どこからきはりましたん」
「そうでっか、東京ですか。そりゃ遠くから、えろうたいへんおました」
「ほな、ごゆっくり、お過ごしなさいませ」(すべて想像)
 なんてことをマニュアルどおりにいって、客をいい気分にさせると思っていたが、そんなことはまったくなし。
 私たちは風呂で温まった身体がその離れの中で、どんどんと冷えていくのを感じながら、自らの選択を悔いたのであった。しかし、その悔いはそんな生易しいものではなかったのだ。