京都へっぽこ珍道中 その十四

 さて、京都にいても木曜日である。「ブラタモリ」である。アシスタントの久保田ちゃんもカワユイ。しかし京都くんだりまで来て、東京の街歩きの番組を観るとはねえ。
 あっ、そうそう以前ここで紹介したセルニアス・モンクの「ソロ」、あれは番組中の「プラタモ写真館」で流れる曲で、タイトルではありませんでした。謹んで訂正です。
 さてこうやって、タモリと久保田ちゃんの丁々発止を楽しんでいる間にも、京都の夜はしんしんと冷えていくのだ。
 ツレは寒い寒いと、座布団を窓の下に押し込む。このあたりから冷気が入り込んでいる、という。エアコンはあるが、「強」にしてもあまり効いているようすはない。布団も煎餅布団に薄い掛け布団、それに毛布があるのだが、この毛布はちょっと使いたくない代物(仔細省略)。
 ツレは掛け布団の下に敷くはずの毛布を上に載せた。
 外で声がする。どうやら風呂へと急ぐ泊り客のようだ。毎回お湯を代えているとどこかに書いてあった気がするが、はたしてどうだろうか。まあ、とにかく最初に入ってよかった(でもほんとうに最初だったのだろうか)。
 とにかく布団に入ることにする。その方が少しは暖かいだろう。
 布団に入って、見上げると長方形の窓に平行四辺形の窓枠がはまっている。なるほど寒いはずである。ツレは布団に入っても、エアコンのリモコンを離さない。気が付くピッピと操作しているが、効果はまったくない。
 昨日の書き込みで「友人の離れ」と比較したけれど、これはもうバンガローである。私は学生時代に友人たちと出掛けた、秩父のバンガローキャンプを思い出していた。でもあの日は夏だったよ。
 どちらかというと(どちらといっても、かな)、私はそれなりの肉を着ているが、ツレはだいぶ細身である。遭難という言葉がリアルに浮かんでくる。
 何度か目を覚ます。布団の外は凍てついた寒さだが、布団の中にそれなりの暖かさを保っている。人間の体温はすごいと、京都で確認することになるとはね。
 目を覚ました何度目か、外からお経を詠む声が聞こえてきた。ついに我々も寒さに負けて、アチラの世界に誘われるのか、と一瞬思ったが、ここは京都である。托鉢のお坊さんであったのかもしれない。そうして朝は明けた。
 嵐吹きすさぶ、じゃなかった寒さ凍み込む京都の夜を、どうにか二人は持ち堪えることができたようだ。
 ツレが起き出して、窓の下の座布団をどかした。すると板を張った壁の隙間から、陽の光が部屋に射し込んでくる。
 はい、古いものを大切に残す、この心が、まさに身に沁みたのだった。
 庭では水撒きが執り行われている。その音が離れの壁を打っている。その水が隙間から浸入しないか心配になってしまった。
 この宿は朝食しか付いていない。8時半の予約を入れてある。ほぼ時間通りに布団を上げに、昨夜とは違うおばさんが来た。布団を上げるとすぐに朝食の膳が運ばれる。この宿は食事をする場所が用意されていないので、当然のことに部屋食となる。
 湯豆腐と味噌汁と御飯は温かい。そうでなければさしもの私も膳を蹴っていたかもしれない。そして鮭である。熱いのだが、硬い。想像するにこれはすでに焼いてあったものを、ただレンジでチンしただけではないのか。その疑いは濃い、と思う。
 しかし私たちに、もうコワイものはなかった。
 食べてしまえば、ここに長居をする必要はない。私たちはできるだけ早く出掛けることにする。
 おっと忘れていた。暗い場所で脱いだ靴。あれはどうなっているのだろう。と戸を開けると、白いホコリがまぶされて、おまけにツレのブーツの片方は倒れていた。簡単な靴箱もなかったので、もし雨でも降っていたら、どうなっていただろう。
 この白いホコリも水撒きで立ち上ったものと、私は判断している。さらに布団を上げにきたり、朝食を持ってきたときに、ブーツがひっくり返っていることに気付かぬはずはないと思う。そう、おばさんはそれを直してもくれなかったのだ。
 恐るべきMのマークひとつ。くわばらくわばら。
 早速、会計を済まして、荷物を預ける。
「はい、お預かりします」とおばさんは確かにいった。そして私たちは石部小路の中を歩み出した。やれやれ。★またまた詩仙堂の紅葉です。ささくれ立った心を、癒してくれはります。
★こちらは哲学の道の途中。感情的になることは無意味と、わかってはいるのですが、修行が足りません。
★こちらは石塀小路の朝。いやなことをつかの間忘れさせてくれる陽の光でした。