京都へっぽこ珍道中 その二五

 そして京都駅の地下街で、土産物売り場を流す。といっても店に入るのはもっぱらツレのみ。私は外の通路で、ポツネンと待っている。だって店の中は若い女性と、そうでない女性ばかりでギューギューの状態なのだから。
 それから二人は伊勢丹に向ったのだが、「何なのだ、この巨大な階段というか、エスカレーターは」。それらは巨大な斜面として目の前にある。まるで宮殿の大階段ではないか。それらを一方方向に繋いでいくことで、壮大さを醸し出しているというわけだ。
 まあ、どんなビルにも必要な階段とエスカレーターだけど、このようにしないのは、広さが足りないとか、構造上無理とか、それなりのわけがあるはずで、それらを乗り越えたということにまずはアッパレとしておこう。調べてみると、このステーションビルには、他にもいろいろと仕掛けがあるみたいなので、機会があればチェックしてみたい。機会? あるかなぁ。
 そんな階段というかエスカレーターに圧倒されて、なぜデパートの上まで昇ってきたか忘れてしまった。そこで急遽、地下の食料品売り場へ。ここで帰りの新幹線で食べる弁当でもみつくろうと思ったのだが、ツレはもう気分がお腹一杯の状態ということで、これもキャンセル。無意味にブランドショップをうろつくが、徒労に終ったあたりで、一枚のポスターが目に入る。
 「ブリューゲル版画の世界」開催中!
 おっとこれは私が東京で開かれていたときに行きたいなぁ、と思っていながら、いつものズボラで機を逸してしまった展覧会ではないか。幸いなことに新幹線の出発までは、あと2時間近くある。やや疲れているものの、これを観ない手はない。それにはツレも同意してくれた。まあ、入場料を私が払うことは、すでに前提ではあるのだけれど。
 今度はエレベーターで一気に会場の階まで昇る。大階段に驚嘆していたのに、いい気なものだ。エレベーターが開くと、そこは赤ちゃん用品売り場で、展覧会会場はそこをグルリと回った先にある。
 さて、ブリューゲルといえばまず絵画である。私も安い画集を求めたり、とある映画との関係で調べたこともあった。しかし、こと版画に関してはまったく無知である。そこに表現されたことの第一印象は、まず400年以上前のヨーロッパの喧騒。その時代の人が何をし、何を着、何を食べ、そして何を思っていたのか、それを膨大な「部分」によって、総合的に表現している。それは数多のテキストよりもまさる記述ではあるまいか、
 などと書きつつ、はなはだ情けないことに、実はまだ全然ブリューゲルのことを知らない。幸いなことに、図録はかなり高度の解説書であるようなので、じっくりと紐解くことによって、彼に少しでも近づきたいと思う。
 ということで、慌ただしくも私たちはブリューゲルの世界を堪能しつつ、新幹線ホームへと歩み出した。しかし京都散策のあとのブリューゲルの版画って、意外とマッチしていたように思う。
 そして「のぞみ」に乗り込む。やはり行きとは違ってパソコンを開く人はいない、と思ったら、どうやら車輛の仕組みも違うようで、行きにあったコンセントやLANの設備もこれにはないようだ。まあ、私たちにはどうでもいいことだけど。
 結局お弁当は買わなかったのだが、少しは、いや私の方はそれ相当に腹が減る。で、ツレは田舎亭で出た笹餅を見つけた。私は「菊乃井 露庵」でもらったいくら丼を開ける。
 うん、大丈夫そうだ。行きの東京駅と同じ運命になることだけは、絶対に避けたかったもんね。とうぜんチト硬くはなっていたけれど、昨晩の味を彷彿させる。私は新幹線の揺れといえない、その振動を楽しんでいた。夜の新幹線は、残念ながら食べ物と眠気ぐらいしか、楽しむものがない。
 私は一粒目のいくらに詩仙堂の紅葉を、二粒目に銀閣のそれを、三粒目には哲学の道のそれを思いながら、京都の旅を辿ろうとしてが、そんな思いよりも先に、食い気の方が先を急いだ。まあいい、今度の旅行はブログの格好のネタになってくれることだろう。と、ここは隣の席で寝ているツレに感謝と書いて、検閲に備えることにしょう。(終わり)