「くさや」の臭いとの久々の再会

 (昨日の続き)
 すでに何が行なわれているかは、まったく見えないので、あとは想像するしかなかった。すでに鼻の横あたりは局部麻酔が効いていて、いろいろとその場で執り行われているようなのだが、その実際は不明。ただ後で看護師さんから透明容器の中に漂っているホクロのたぶん表面近くの破片を見せられたので、最初はまずその辺をナイフか何かでグイッと削られたのだろう。
 その後、ホクロのあたりに何か当てられるものがある。音が小さく、ジジジジと聞こえる。どうやら電気メスだかレーザーで、ホクロが焼かれているようなのだ。
 しばらくすると、鼻を突く強烈な臭いがするではないか。時間は昼過ぎで、まさか病院の中でサンマを焼く人も居るまいて、などど悠長なことを考えていたが、どうやらこの臭いはサンマというよりも、クサヤに近い。
 昔々のその昔、父がどこかでもらってきたクサヤを家で焼いて、家族の大顰蹙を買ったことがあった。そんな臭いなのである。
 そう、ご明察である。その臭いとは、クサヤではなく私のホクロを焼く臭いだったのだ。しかも、その火元は鼻と1センチも離れてはいないのである。やや強調していえば、それは拷問にも近い。しかしホントの話、名実ともに自分の身から出たもの、我慢せねばならない。
 ジジジー、ジジジジーと私のホクロが焼かれていく。たぶんその臭いは隣の診察室にまで届いているだろう。もうしわけない。こればかりは午後でよかった。昼前の腹を空かせた時間であったなら、もっと臭覚は敏感であったはずだ。
 先生は、「おっと」とか「よし」とか「ほいこら」とかいいながら処置をしていく。
 そして「はい、終りましたよ」ということで、顔に被されていた紙のようにものが剥がされる。顔に面する側には糊が付いていて、顔の皮もそっちに付いていきそうだった。
 次に鏡が渡された。鼻の横に小さく凹みができていて、その真ん中にホクロの残りというか芯みたいなものが微かに見える。
 「ちょっと残っちゃったけど、心配はありません。根みたいなもんですね」
 かくして私と半世紀ほど付き合ったホクロとの別れの儀式が終った。
 「すごい臭いでしたね。まるで炉辺焼きみたいな」
 そう私がいうと、先生はうけてくれて、
 「そうだよね。まあ、生き物は焼かれると、みんなおんなじような臭いになるんですよ」という。
 そのあと私が上体を起こすと、看護師さんが丁寧に処置をしてくれる。まずは薬を塗って、そこに布を当てて、厳重にテープで押さえる。患部は5ミリにも満たないのに、かなり厳重なのだ。まるで『三つ目が通る』のバッテン絆創膏を鼻の横に貼ったようである。鏡を見ると、これではチト人前には出られない。そこで看護師さんはマスクをくれた。それでどうやらバッテンのほとんどを覆うことができたが、その一部、目の下のあたりはまだ絆創膏が見えてしまう。でもまあしょうがない。
 「今日はこのまま、ご自宅にお帰りくださいね」
 と看護師さんはいうが、これではみんなその言葉に従うしかないだろう。
 帰路について、御茶ノ水の改札を通過する頃にも、まだあの臭いが私の周りには漂っていた。