アイヌとケルト

 (昨日の続き)
 前の書き込みで、「地元の図書館」としたのは、正しくは「スコットランド国立博物館」でした。ごめんなさい。
 さてマキリの文様に、その使い手は思いを込める。それはケルトのセーターの模様も、その目的は違えども、込めた思いは同様のものなのだろう。セーターの模様は、遭難の際の識別のためではなく、航海の無事を祈る家族の気持ちが縫いこまれているはずなのだから。そんなことを考えつつ、萱野さんの「わが心の旅」の続きを観る。
 番組の内容はアイヌの里で医療に従事し、そこに骨を埋めることしたマーローさんの気持ちとは、いったい何だったのかに及ぶ。
 そうそう、私がケルトのセーターのことを考えたのも、そこが彼らの土地だったからに違いない。しかしこの後の番組の展開は、推測できなかった。
 マーローさんはスコットランド、つまりケルトの出であり、幼い頃からイングランドの支配を感じて生きてきたのだった。彼らもまた、言語や文化や家族環境を否定されてきたのである。よって少数の立場を、その弱い面を含めて理解できるのだ。
 萱野さんはマーローさんの出身地から、マーロー家の族長の屋敷、さらにはゲール語がまだ使われている島へと足を伸ばす。そしてその体験の中で、少数の立場としての共通点を見出していく。
 最後に萱野さんは族長の屋敷の庭で、マーローさんの弔いをアイヌのしきたりに基づいて行なう。そこにマーロー家の人々が集う。アイヌには、弔いを生まれ故郷ですることは、魂がそこに帰ることを意味するのだという。
 萱野茂さんは番組の中でマンローさんの言葉として、自分の父親のことを、「いい人だが、酒を飲むと悪い人、だから大人になっても酒を飲むな」といわれたと語った。同じことが著書の『おれの二風谷』(すずさわ書店)にもあった。たぶん萱野さんは、ずっと酒を飲まずにいたのだろうなぁ。
 ちなみに昨日のマーローさんの略歴はこの本から引きました。