近くの旅客 02

 埼京線に乗って新宿へと向かう。
 まさにオーソドックスな行程の途中、三人掛けのシートの真ん中に座っていると、板橋で右隣の男性が下車する。と、その前で待っていたような若い(らしい)女性がその席に着いた。そして電光石火のごとくに鞄を開けると、まずは櫛を取り出して髪を漉きだしたのだ。
 それも首を前後に動かしながら、髪の根元からではなく、先の方から逆毛立たせているのである。私の顔との距離は30センチもない。その宗教のお祈りのような儀式が終ると、髪をきつく束ねているようだ。
 でも私の至近距離で行なわれている行為でありながら、直接見ることはできず、前の窓でも乗客が多いので確認できない。
 そしてまた鞄の中をまさぐっている。しばしあって、目当てのものが見つかったらしい。肌をパタパタとやり、目に色を付け、唇に紅を引いて、その他いろいろやっている。そのためには、三人掛けシートの一人分はチト狭いようなのだが、ぐいぐいと動く彼女の腕が私の腕に当たっても、譲ったりはしない。
 新宿に着く直前にその行為は終了したようだ。ホームへ電車が滑り込む僅かな時間に、携帯電話を取り出しては、メールをチェックしているらしい。この間、たぶん7分ぐらい。まさに歌舞伎の早変わりである。
 まあ、いってしまえば、車内でよくある風景なのだ。しかし、それが自分の隣となると、心穏やかではない。なにより粉っぽいものが飛んで来るという実害があるが、そもそもそれ以前に、他人の30センチほどの距離の場所でやるべきことなのか、と、ここで切り捨て御免もありだが、そう書いたところで、それがなくなるわけでもない。ある友人は隣で化粧を始めた女性に注意をして止めさせたという。しかし残念ながら私にはそんな勇気はない。
 で、ここではそんなことの意味なんぞをチラリと考えてみたい。
 そもそも、電車の中で化粧をすることは、いったいどんなことなのか。最初から否定するのではなく、まずサラリとできるだけ白紙の状態が初めてみたいと思う。(この項目続きます)