近くの旅客 04

(昨日の続き)
 つまり簡単に言ってしまえば、いわゆる電車の中と列車の中とでは、乗客のありようや心持ちといったものが、かなり違っているのではないか、ということなのである。
 それは昨日書いたように、目的地が日常の延長ではないこと、乗車時間や移動距離が長いこと、そして車内の座席の構造にも由来する。
 典型的なボックスシート、つまり向かい合わせの4人掛けシートで構成された車輌に何人かの乗客が入ってくるとする。一人の客であれば、誰もいないボックスを探して、そのたぶん窓側に座る。二人連れだと向かい合わせの窓際となるだろう。そして車内が混んでくると、最初から4人連れでない限り、ボックスシートは他者の存在を許容しなくてはならなくなる。
 「こちらはよろしいですか」「はい、どうぞ」といった簡単な言葉を交わしたり、交わさなかったりしながら席は埋まっていく。
 この他者のいる空間は、列車に揺られるに従って、やがて程度の差こそあれ、微かな共同空間としてのニュアンスを醸し出してくるはずである。それは別々の場所に移動しつつも、とりあえずは、それぞれがしばしの間だけ同じ空間を共有するという、ほとんど関連性のない結び付きによって生じる。そのわずかな膜のようなものに包まれることで、その空間での食事や飲食は基本的に認められることとなる。
 もちろん、読書やゲーム、そして編み物なども大丈夫。しかし、化粧はどうだろうか。たぶんそれは止められないが、安寧に許容すべき項目ではないと思う。場合によっては侮蔑の眼差しを向けられることになるだろう。
 ただし、これは他者が存在している場合であり、一人がひとつのボックスを確保できていれば、化粧する人は、他の移動手段では得られないほどの自由を満喫できる。
 ちなみにここでいう化粧とは、化粧直しのことではない。それらは似ているようであって、まったく違う行為である。化粧は、その行為の全行程を基本示しているのに対して、化粧直しは、外出時の乱れを補正するものなのだ。
 昔々、なんと高校の教師から、「江戸時代の女郎さんは、身体を許しても、化粧をしているところを見ることだけは許さなかった」といった話を聞いた記憶がある。まあ、こういったことを持ち出すまでもなく、自らの顔面にさまざまな色の顔料を塗布して、その見た目を補正するという作業は、本来他者に目撃されるべき行為ではない。
 かつてはボックスシートで一人、コンパクトを開けていたとしても、近くに人が過ぎろうものならば、それを静かに閉じたはずなのである。
 ただボックスシートの列車にはそうではない人を、時には心ならず許してしまう包容力を持っていたといえるかもしれない。(この項目続きます)