近くの旅客 05

 (前回の続き)
 ところで、地方のローカル線に於ける件の事情はどうなのだろう。ほとんど乗ったことがないので、あくまで想像なのだけれど、やはりボックスシートなら、前回の書き込みの長距離列車とほぼ同様だと思う。ただし、もちろん駅弁を食べる人は少ない。意外と手作り弁当は食べているかもしれないが。
 ちなみに、今まで想像をたくましくしてきたことはすべて自由席でのこと。それが指定席だと、また違った展開になるけど(「小説新潮」1月号の「『歴史のみち』を旅して」のエピソードはおもしろい)、話がさらに込入ってしまうので、やめておきます。
 でも、ふと思うのだが、地方の空いたローカル線などで通学や通勤している人にとって、その車内は、まさに秘めたる空間だったはずだ。もしそこで日常的に化粧していて、何らかの機会に彼女たちが都会に出てきたのなら、車内化粧の前提はそこで養われたという可能性もある。
 そしていよいよ都心部の電車の内部へと話を戻していこう。もちろんこちらの車内はボックスシートではない。あれっ、それってナント呼ぶのだろうか。まさに通勤ラッシュの積載人数と乗降効率を最大限にするためだけのシートレイアウト、窓側に沿って座面の小さなシートであるそれである。
 余談だけれど、私が利用している埼京線は、午前10時まで上りは一部の車輌のシートに座ることができない。その電車に不幸にも乗り合わせてしまうと、なにやら自分が牛か豚になったような気がしてくる。自分が座らなくても、そんなときはシートの存在は旅客車輌には大切なものであるとひしひしと感ずるのだった。で、時間が来ると、シートを倒すことができますという車内放送が流れて、乗客はおもむろに席を自分で倒すのだ。しかしこのシートの硬いことったらない。
 おっと、また寄り道をしてしまった。そう都心部での電車の風景だが、ここ十年の変化はかなりのものである。顕在的な今日日の状況をいえば、携帯電話、それもそのかなりの数がスマートフォンを操作している人の多さが目に付く。
 携帯電話自体はここ数年のことだが、スマートフォンはほとんど昨年から、それも後半からの現象といってもいいのではないだろうか。
 これはあくまでも私が受ける印象なので、私とは別の路線を利用している人はまた違った判断となるかもしれない。しかしとにかく短い期間で、乗客の「していること」が様変わりしたといって問題はないだろう。ではその「していることは」はどんな変遷をへてきたのだろうか。(この項目、どういうわけか続きます)